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▼ここらびさん:
>やはり心と体は連動しているということなのでしょう。
>私も7月ころから月に1度くらい
>胃の上のほうが急激に痛くなり呼吸も困難なことがあります。
>心筋梗塞ではないようで、やはりストレスが胃にきたようです。
>週末の頭痛もときどき。
>私の場合は更年期ということも重なっているのでしょう。
更年期・・早い人なら40代で来るらしいので私もその可能性もあるかもですね;
脱力したときの感覚と付き合うのは今でも苦手です。
過集中しなかったら私の場合だと成果が出づらいんです;
>同居している私の両親もこの秋、介護認定されました。
>母はリウマチ、父は脊椎管狭窄で歩くのに杖を必要とします。
>家事はほとんど私がしていますが、庭の手入れは父ができる範囲で
>母は椅子にすわっていれば仕事ができるので
>台所で椅子に座って料理をすることもあります。
>息子へは書道は父が、社会科は母が教えてきました。
>今日、トイレや玄関に手すりをつけるためにケアマネージャーさんと
>工務店の方がいらっしゃいます。
父の実年齢は70です。息子が成人する頃,
要介護認定される可能性は高くなる気がします。
兄弟が居るけど奥さんになる人は長女か一人っ子の可能性が高いです。
出戻り娘として再婚してない場合は自分の親の介護を手伝いたいです。
そうしなきゃ兄弟の奥さんになる人から「出戻りの変な小姑」に見られる可能性があります。
親も兄弟のお嫁さんより実の娘の方が好きなこと言いやすいですよね・・
私は健常の倍は親へ気持ちの負担を掛けて育ちました。
過集中してないときの私は役に立たないかもしれないけど実施したいです(>_<)
>この夏は、塾の勉強につきあって忙しかったり、
>夫の甲状腺癌が見つかって、鬱鬱としている夫を励ましながら、
>一緒に病院通いをしたり(経過観察になりました)
>介護の申請をしたり、
>と家族に色々な変化に私自身もいっぱいいっぱいでした。
辛かったですね・・
今のご家族は大丈夫ですか?
私が勉強を教えようとすると息子はアスペ親のやり方に
ついて行けないようです;
「競争の「競」は立つ兄,立つ兄だよ。」
こういう教え方がマズイんですよね・・
漢字の作り(のぎへん,おおざと,りっしんべんとか)の読みも
苦手らしいので,どう教えれば息子は理解できるんでしょう?
私は視覚記憶で覚えたクチなので覚える苦労してないから悩みます;
>息子も塾、釣り、双子の親せきのお兄さんと三人の富士登山、
>ピアノ発表会の練習、学校の宿題と、とても忙しい夏でした。
>父親の癌のことも不安や疲れにつながったことでしょう。
>たくさんのストレス、思春期の芽生え、
>ライフイベントが重なりすぎたのだと思います。
>ひょうひょうとこなしていたかのように見え、
>気がついてあげられなくて、本当に悔みます。
それはここらびさんの落ち度ではないから大丈夫です。
誰だって自分の許容範囲を超えることに
完璧な対処はできないと思いますよ。
健常にもそういうことってあるじゃないですか。
>私もそう思います。
>でも、きっと皆さんどこかで息抜きされているのではないかしら。
>気分転換に自分の好きなことをしたりとか、
>おいしいランチを外で食べたりとか。
>私は一つのことしかできないので、
>今は息子のことで精いっぱいで・・。
>他のことをするとかえってストレスがたまってしまいます。
子供も喜びそうな気分転換は
料理レシピ開発もありますよ。
これ脱力感が強い時は向かないけど
いつも使わない食材で上手にできたときは
達成感と自己満足感がセットになってて嬉しくなりますよ。
>もう自分のペースでやらせてほしい。答えることさえわずらわしい。
>と思ってしまいます。
>「自分で考えてるから。」と語気を強めると
>「人が心配してるのに。」と怒られます。
>母に「洗濯ものできたわよ。」と干すことをせかされたり、
>「トイレットペーパーがないから買ってきて。」と言われたりすることも
>今の私にはきついです。
>昔から家が学校のようでしたから。
>息子が生れて、自然が豊かな環境で育てたいと
>二人暮らしのマンションを売り、
>実家に戻ってきましたが、
>学校のような雰囲気にはいまでもなじめません。
>夫は我が家を、学校より学校らしい、と言います。
>でも、ある意味、家庭が「構造化」されているので、
>今までの息子にはその環境がプラスに働いていたようにも思えます。
なんだか義務教育時の私みたいです。
「社会の決まりを守るのは基本。」が当時の実家と親類なので
女性は気が効いて当たり前。
できない女性は女性失格と言われて
不意なお手伝い要求が日常ありました。
>でも、今は息子の自我が管理的なことを窮屈に感じ始めているし、
>家族の対応も変えていかなくてはならないと思っています。
思春期〜反抗期になると誰でも自我が強くなりやすい気がします。
>よく「愛する」という感情が
>発達障害の人にはわかりにくいといいますが、
>「愛する」とか「理解する」という概念は
>定型発達の人でも人によりちがうのでは、と思います。
>Сашаさんが愛する対象といて
>「幸せ」と感じること、そのことが素敵なことですよね。
>私までうれしくなります。
私にとっての「愛する」の意味は「大事だと思う存在」なんです。
血縁以外なら恋愛に見えるかもしれないけど趣味や友情も含まれてます。
人間愛,家族愛が日本語表記になるので
たぶん意味は合ってるかなと・・
息子さんが読書好きなら「星の王子様」は脱力感解消のヒントになりそうな気がします。この話は中学の英語の教科書に一部が載ってました。
今,思い出すと意味が分かるアスペにはホっとする一文もありますよ。
大事にしてる存在が自分のしたことを喜んでくれると嬉しいんです。
>毎年、学校の若い担任の先生には
>「みんなちがって、みんないい。」という
>クラスの雰囲気を作っていただけるとありがたい、とお願いしてきました。
>でも、ベテランである今年度の先生へは言えませんでした。
金子みすゞの詩ですね。
頭で解っていても実施できてない教師は居ます;
私は教師が変わるたびに相手の家庭環境をなんとなく聞きました。
新婚で子供ができて数年の教師から子供は成人してベテランの教師まで
いろんな方がいます。
我が家は母子なので世間の誤解があるんです・・
お母さんは優しくなければいけない,はその例です。
母子は一人何役もこなさければなりません。
父親役,母親役はできて当たり前。叱り役とフォロー役が必要で
男性並みに収入を得ながら家事,育児に手を抜かない健常のお母さん方に
及ばない葛藤に気づかない健常はたくさん居ます。
これらを親へ話してるから,親なりの協力には恵まれてます。
私と違って息子へ厳しいようなので息子は「やっぱりママがいい」と言うけど
そこは私に無い点を親が気づいてフォローしてくれたんだと思ってます。
>毎年ポスターで入選することは、うれしいことですが、
>賞は、だれかと比べてよかったという評価ですので、
>人に優劣をつけたことでもあり、
>息子への声かけにとても気をつかいます。
>一般的には、入選は成功体験ということになるのでしょうが、
>うまくいかない経験に対する抵抗力がなくなる、
>ということでもあります。
>今後、思い通りにいかないことへの抵抗力をどのように
>つけていくかが大きな課題なのだと思います。
一番,手短かに当事者に実感できるのは失敗経験です。
失敗経験から学ぶことって実感する方が説得より強い実感と気づきになるような気がします。これは私が能力低い当事者だから思うかもしれません。
>だれかと比べて、どう。ではなく、
>みんなちがって、みんないい。
>
>過集中でも脱力感があってもいい。
>思い描いた自分と違ってもいい。
>と息子が心から思える日がくるといいなと思います。
ありのままの子供の姿を受け入れようとする深い親の愛情を感じます。
どんな子供でも受け入れたいという親の気持ちは
子供にとって嬉しいと思いますよ。
成人した私が親へ求めたのはそういう愛情です。
療育年齢でなくても「親だけは解ってくれてる」と
思いたい気持ちかもしれません。
こういう気持ちが親へ甘えてるんだろうなと自覚してます。
親のそういう気持ちをイヤがる健常も居るけど
照れ隠しが入ってますよね?
表情作るのが苦手なので照れ隠しの表情とセットにできずに
親から私は誤解されてると思います。
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