アスペルガーの館の掲示板

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[#6356] 成人したら療育のようはものはないのでしょうか。 ハーティ 05/5/12(木) 13:36 [未読]
[#6362] Re:成人したら療育のようはものはないのでし... nobody knows 05/5/12(木) 20:14 [未読]
[#6375] Re:成人したら療育のようはものはないのでし... ハーティ 05/5/13(金) 8:41 [未読]
[#6383] [投稿者削除] [未読]
[#6389] Re:成人専門の療育施設 ハーティ 05/5/13(金) 20:38 [未読]
[#6395] Re:成人したら療育のようはものはないのでし... went 05/5/14(土) 1:51 [未読]
[#6399] Re:成人したら療育のようはものはないのでし... zima 05/5/14(土) 6:02 [未読]
[#6411] こちらこそ、ありがとうございます went 05/5/14(土) 21:31 [未読]
[#6407] Re:成人したら療育のようはものはないのでし... ハーティ 05/5/14(土) 8:34 [未読]
[#6413] 横レスですみません:「直球と変化球」 phai 05/5/14(土) 23:17 [未読]
[#6414] ASに関する説明について went 05/5/15(日) 0:16 [未読]
[#6429] コミュニケーション訓練団体について went 05/5/16(月) 0:52 [未読]

[#6356] 成人したら療育のようはものはないのでしょうか。
 ハーティ メール  - 05/5/12(木) 13:36 -

引用なし
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   こんにちは、はじめまして。 ハーティといいます。

22歳の息子が去年ASと診断され、長年の違和感に納得がいったものの息子のつらさ
と二次障害の心配で頭がいっぱいの母親です。

話せば長ーい経過があって、今は親元を離れて一人暮らし、専門学校に行っています。
やはり、人間関係がうまくできずに、友達がいません。
最初はいいのですが、長く付き合っていくと相手がひいてしまうそうです。
また、そうなると息子のほうでも嫌ってしまうような気がします。
毎日の生活でも、疲れきってしまって、家にいる時間はほとんど、横になっているようです。
その疲れのために、しなくてはならないことができず、よけい人間関係が悪くなったりしています。
今年で、学校も終わりというあせりもあるし、日常困ったことも、次々起こっています。

病院にもかかっているし、学校のカウンセラーの先生にも定期的に話をしてもらっています。
カウンセラーの先生は、認知の偏りをただ教えようとしても受け入れられないので辛抱強く、かかわっていきましょう。とおっしゃっています。

手短に書かなくてはと思って、説明不足なところが多いのですが、少しでも疲労が減るような方法がないものかと教えて欲しいのです。
本を見ても、発達障害の子供についてのものは、たくさん見つかるのですが、大人についての本が見つかりません。

息子が一生懸命なのがわかっているだけに、
一生懸命だけじゃ疲れてしまう。ワンポイントでもいいので、少しでも楽になれるような、トレーニングやこつ、工夫などがあればいいのに。
と思っています。

同じ年頃で、悩んでいる方もたくさんいらっしゃいますよね。
もっと大人になった方は、それなりに落ち着いていらっしゃるのでしょうか。

あと、診断レポートにはっきりアスペルガー症候群と書いてあったのですが、息子がそれをどの程度理解しているのかわかりません。
認知の偏りも自分では理解していないとのこと。
分かっていないのか、分かっていても、無関心なのか、分かりたくないのか・・
あなたはこういう傾向があるみたいよ。ASとは、こういうものよ。
と説明したほうがいいのでしょうか。

言葉足らずで、申し訳ありません(言いたいことがうまくいえていない気がします)がアドバイスいただけたら、うれしいです。


昨日投稿したのですが、タイトルが間違っていました。
恥かしいので、訂正して再アップしました。

[#6362] Re:成人したら療育のようはものはないのでしょうか。
 nobody knows  - 05/5/12(木) 20:14 -

引用なし
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   ▼ハーティさん:
はじめまして。

書き込みを読ませて頂きました。
その大変さ、辛さ、想像すると、本当にいろいろなことがあったのだろうと思いました。

皆さんがきっと少しずつレスをしていくこととは思っていますが。

とりあえず、22歳の息子さんですから、自分自身が「何者なのか」を知っていく必要があるように思います。

とりあえず、下記のような書物はいかがでしょうか。
「自分と違っていたら、それでいいのだけど、
私から見ると、似ているような感じがする。よかったら、読んでみてくれないかな」
と勧めてみてはいかがでしょうか。

親がすべてを面倒見るわけにもいきません。
ですから、ある程度、自分自身の自覚に訴える・気が付くということがまずは必要と思います。

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4874996221/qid=1115895805/sr=1-24/ref=sr_1_2_24/249-995737>

[#6375] Re:成人したら療育のようはものはないのでしょうか。
 ハーティ メール  - 05/5/13(金) 8:41 -

引用なし
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   ▼nobody knowsさん:

アドバイスありがとうございました。

今の病院には、息子も自分でADHDではないか、と思ったこともありかかりました。
それまでの病院では、自己愛的人格障害みたいな話が出たり、別の病院では、眠れないなら薬が出せるけど、性格は治せない、みたいに言われて、途方にくれていたので、私としては、ASの診断は、分かっただけでもほっとしたのです。

息子にも、自分のせいじゃないとわかってよかったでしょ。といったら、
「だからって周りはわかってくれない。きちがいなら何も分からないほうがいい。
(ごめんなさい、息子の表現はそうだったのです)」と。
その後は私がASについて言っても、「分かってると思う」というだけで、自分からは触れません。


私は息子のかわったところも個性と思っていたし、好きだったのですが、そのことで息子がつらい思いをするようになって、どうしてもっと早く気がついて、なんとかしてやらなかったのかと、悔やむことが多いのです。
今からでも、やれることがあるのなら、生きていくのに負担が少ないやり方を見つけられたら、と思っています。

あせってはいけないと分かっているし、息子にはあせらないゆっくり行こう、といいながらもあせっているのかもしれませんね。
離れていて様子がわからないこともあるし・・

早速今日、本屋さんに行ってみます。

ありがとうございました。

[#6383] [投稿者削除]
   - -

引用なし
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   この書き込みは投稿者によって削除されました。(05/5/14(土) 4:54)

[#6389] Re:成人専門の療育施設
 ハーティ メール  - 05/5/13(金) 20:38 -

引用なし
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   ▼小太郎さん:

アドバイスありがとうございます。
発達障害者支援センターは知っていましたが、成人の療養をしてくれるという認識がありませんでした。

小太郎さんは息子と同じ年ということ、学生さんでしょうか?
お仕事をしてらっしゃる?
センターを利用してる?
やはりいろいろご苦労があるのでしょうね。
でも、書き込みを読んで思うのは、息子と比べてなんてしっかりしているのかということ。
22歳はもう大人ですね。
息子は幼いです。

親がいろいろ考えているばかりでなく、息子自身が自分を知って自覚を持って、考えていかなくてはいけませんね。
ちょっと違った見方ができてきたかもしれません。
息子も息子なりにちゃんと進歩しているし、あわてないで、いろんな人に助けられながら、それなりに生きていけたらいいですね。

いろいろ思うことがあるのですが、うまくいえません。
でも小太郎さんの希望をもってください。に励まされました。
ほんとにありがとうございました。
みんなで、希望を持ってやっていきましょう。

[#6395] Re:成人したら療育のようはものはないのでしょうか。
 went メール  - 05/5/14(土) 1:51 -

引用なし
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   ▼ハーティさん:
>22歳の息子が去年ASと診断され、長年の違和感に納得がいったものの息子のつらさ
>と二次障害の心配で頭がいっぱいの母親です。

>人間関係がうまくできずに、友達がいません。
>最初はいいのですが、長く付き合っていくと相手がひいてしまうそうです。
>また、そうなると息子のほうでも嫌ってしまうような気がします。
>毎日の生活でも、疲れきってしまって、家にいる時間はほとんど、横になっているようです。
>その疲れのために、しなくてはならないことができず、よけい人間関係が悪くなったりしています。
>今年で、学校も終わりというあせりもあるし、日常困ったことも、次々起こっています。
>
>病院にもかかっているし、学校のカウンセラーの先生にも定期的に話をしてもらっています。
>カウンセラーの先生は、認知の偏りをただ教えようとしても受け入れられないので辛抱強く、かかわっていきましょう。とおっしゃっています。
>
>少しでも疲労が減るような方法がないものかと教えて欲しいのです。

>あと、診断レポートにはっきりアスペルガー症候群と書いてあったのですが、息子がそれをどの程度理解しているのかわかりません。
>認知の偏りも自分では理解していないとのこと。
>分かっていないのか、分かっていても、無関心なのか、分かりたくないのか・・
>あなたはこういう傾向があるみたいよ。ASとは、こういうものよ。
>と説明したほうがいいのでしょうか。

 20代を「世間的には学生、実態はひきこもり」という状態で過ごしたwentです。この書き込みは、「私のひきこもり経験」が背景となっているものです。息子さんの場合とは、状況が違っているかもしれません。

 次の点について、思うことを書いていきます。1と2のことは私にとっては、「暮らしやすくなるためのヒント」につながったと思います。3については、「私自身の失敗談」があります。
1 カウンセリングについて
2 ASに関する説明について
3 「コミュニケーション能力をつける(と謳われている)ための訓練」をやっている団体について

1 カウンセリングについて
 私の場合、「大学の学生相談室で受けたカウンセリング」が、とてもよいものでした。しかし、「カウンセリングなんて、無意味だ。」という主張も時々聞きます。
 
 カウンセリングは、「本人が望んで通い始めたか、周りの人が通わせたか」で、だいぶ感触が違ってくるようです。後者の場合、「カウンセラーと本人の相性が悪い」とか、「カウンセラーの力量が欠けている」場合、良い方には進まないかもしれません。
 
 また、カウンセラーに「『自分の本音をぶちまけても、軽蔑されることはないだろう』といった調子で話せる」状態にあるか、「自分の弱い・汚い(と思っている)面を出せないで、(本音とは異なる)カウンセラーが好きそうなことを話してしまう」状態にあるかでも、だいぶ感触が違ってくると思います(これは私の経験から)。
 
 「カウンセラーとの相性」も、大きいと思います。カウンセラーが複数いる場合、「今のカウンセラーは自分と合わないから替えてほしい」と息子さんから言われたら、替えたほうがいいと思います。

 私の経験を書きます。カウンセリングを受けるようになったきっかけは、精神的発汗という身体症状が出てきたことにあります。
 このことで大学の保健管理センターに相談に行ったとき、学生相談室でのカウンセリングを勧められました(ひきこもり状態のこともふまえて)。
 
 カウンセリングは、動物園や少女漫画等といったようなバカ話(注 動物園や少女漫画等をバカにしているわけではありません。それらを題材にして、お互いがそれらにまつわるバカ話をやったという意味です。)でした。
 最初2ヶ月ほどは、「ひきこもりを脱出するのに役立ちそうなことを話してくれ。バカ話やっても、何の意味もない。」と思っていました。また、「自分の本音を話すよりも、カウンセラーが好きそうなことを想像しそれを話さなければいけない。変なことをしゃべったら、バカにされるに決まっている。」と思っていました。
 「役立ちそうなこと」なんて、何も得られませんでした。
 
 しかし、途中で思いが変わりました。「カウンセリングが役に立つかどうかなんて、どうだっていい。カウンセラーとバカ話をするのは面白い。面白いから通おう。映画やスポーツ等の娯楽に時間を使うのと同じだ。」というふうに。
 思いが変わってからは、カウンセラー相手にいろいろと本音をぶつけるようになりました。
 不思議なものです。役に立つ話を求めなくなってからのほうが、いろいろな発見ができるようになりました。ぼんやりラジオを聴いていたときでも、「あ、この人のこういう考え方っていいな。」などと思うようになったのです。カウンセラーのバカ話の中からも、意外な情報を見つけるようになりました。

 今思うに、カウンセリングを始めた頃は、「今のあんたじゃダメ。社会適応できるようになるために、自分を曲げて生きていく方法を考えないとダメ。」という姿勢だったのでしょう。
 途中で、次のような姿勢も出てきたのだと思います。
 「今の自分がダメかどうかなんて、どうだっていい。それよりも、どうやれば暮らしやすくなるのか、それを考えていこう。」
 「これまでの自分が本当にダメなのかどうか、再検討してみよう。ダメとみなす根拠は何なのか。それらの根拠は、妥当なものなのか。ダメというふうに思い込まされたということだって、あり得る。思い込ませたほうが悪いということも、あり得る。」
 「仮にダメなところがあったとしても、100%ダメというわけではないのかもしれない。僅かな部分を修正するだけで状況がだいぶ変わってくるという事だって、ありうる。(そして、実際、暮らしやすくなるヒントにつながった)」

 「長く付き合っていくと相手がひいてしまうそうです」とありますが、私は似たようなことをカウンセリングで話したことがあります。
 もっとも、息子さんの場合とは違うかもしれませんが。
 「『たった1回でも相手の機嫌を損ねたら、もうおしまいだよ。相手はあんたをそれで嫌ってしまうよ。』という思い込みを、私が持っているのかもしれない」と、カウンセリングで思ったのです。
 「その思い込みがもとで、『長く付き合っていくと相手がひいてしまう』というふうに認識したのかもしれない。」という見方もできました。
 『何回か相手を傷つけた。もう相手は許してくれない』とあんたは思ってるかもしれないけど、案外相手は、あんたのことを許してるのかもしれないよ。」ということを、カウンセリングで知ったのだと思います。
 不思議なものです。このことを知ってから、逆の立場にたつことも出てきました。
 相手(当然、その人が誰であるかにもよりますが)が私の気分を害する言動を取った時でも、「意外な面のある人だな。でも、まあいいか。他にいいとこ沢山ある人だし。」と思うようにもなったのです。
 
 続きは、次回に書きます。

[#6399] Re:成人したら療育のようはものはないのでしょうか。
 zima メール  - 05/5/14(土) 6:02 -

引用なし
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   すいません、こういうのを横レスと言うのでしょうか?
あの、wentさんにお礼が言いたくてレスしました。

自分にも「長く付き合っていくと相手がひいてしまう」
という悩みがあり、wentさんのご意見・お考えが
自分の悩みの核心をつくものでしたので
(すでに2時間近く反芻吟味してます。)
今後、参考にさせて頂きたいと思います。
ありがとうございます。

それと、自分の心情を投稿することで、ヒントを頭に植え付けようと
ひとりごと掲示板に書き込みしようと思うのですが
そちらでwentさんのお言葉を引用させて頂いてもよろしいでしょうか?

[#6407] Re:成人したら療育のようはものはないのでしょうか。
 ハーティ メール  - 05/5/14(土) 8:34 -

引用なし
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   ▼wentさん:

書き込みありがとうございます。
体験談ということですごく分かりやすいし、心に引っかかることばかりです。
土日出かけてしまうので、後で、またゆっくり読んでゆっくり理解して、お礼を書きたいと思います。

長い文章、時間もかかって申し訳ないのですが、続きもよろしくお願いします。
本当に、感謝します。

[#6411] こちらこそ、ありがとうございます
 went メール  - 05/5/14(土) 21:31 -

引用なし
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   ▼zimaさん:
>あの、wentさんにお礼が言いたくてレスしました。
>
>それと、自分の心情を投稿することで、ヒントを頭に植え付けようと
>ひとりごと掲示板に書き込みしようと思うのですが
>そちらでwentさんのお言葉を引用させて頂いてもよろしいでしょうか?

 こちらこそ、ありがとうございます。わかりにくい文章を読んでくださった上にあたたかい言葉をかけてくださって、嬉しく思っています。

 引用、ご自由にどうぞ。私も嬉しいです。

[#6413] 横レスですみません:「直球と変化球」
 phai  - 05/5/14(土) 23:17 -

引用なし
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   ▼wentさん:
> 「『たった1回でも相手の機嫌を損ねたら、もうおしまいだよ。相手はあんたをそれで嫌ってしまうよ。』という思い込みを、私が持っているのかもしれない」と、カウンセリングで思ったのです。
> 「その思い込みがもとで、『長く付き合っていくと相手がひいてしまう』というふうに認識したのかもしれない。」という見方もできました。
> 『何回か相手を傷つけた。もう相手は許してくれない』とあんたは思ってるかもしれないけど、案外相手は、あんたのことを許してるのかもしれないよ。」ということを、カウンセリングで知ったのだと思います。
> 不思議なものです。このことを知ってから、逆の立場にたつことも出てきました。
> 相手(当然、その人が誰であるかにもよりますが)が私の気分を害する言動を取った時でも、「意外な面のある人だな。でも、まあいいか。他にいいとこ沢山ある人だし。」と思うようにもなったのです。

この感覚、よくわかります。
今職場の上司(女性です)のセクハラ発言への対処でいろいろ考えていて、
その途中で自分がアスペルガーだとわかったおかげで、ようやく自分と他の人
における人間関係での気持ちの「キャッチボール」の違いを客観的に見ること
ができつつあるところです。
つくづく、自分は「直球型」なんだな、もっと世間の人はいろいろな球筋を
持っていて、見えたり表現したりする範囲が広いんだな、と思いました。

「変化球」で来られると、自分が普段把握している球筋の外からいきなり
あわられる感じですごくびっくりしてすぐに対応できないし、「卑怯だ」と
思ったりしてしまう。
自分が変化球を投げないから、その真意がわからないし対処法もわからない。
具体的にはからかわれたのですが、そこに悪意を読み取ってしまう。冗談
では受け取れない。そしてそれが許せない。一度許せない行動を取られると
その人に対する信頼を回復できない。
wentさんの書き込みに照らすと、その逆のパターンになりますね。自分の方が
相手を許さないという。でもってやっぱりそれが元になって、相手の方も、
自分が一度でも機嫌を損ねるようなことを言ったら嫌うだろう、と連想する
ってことはありますね。

でも、多くの人は、不愉快なことを相手が言ったり自分が言ったりすること
があっても、それを雑多に受け入れているみたいですね。それを処世術として
人間関係をやりくりしているんですね。
まずはその構造を理解して事実として認めようという段階にいます。
そして今度、その上司にあなたのこういう言動がとても不愉快だった、大人に
なってから、利害関係のある人からあんなに失礼なことを言われたのは初めて
だ、わたしにとっては最悪な出来事だった、と淡々と言ってみようと思って
います。
以前に無理にそれを言ったとしたら(もう1年半も「塩漬け」にしていること
です)、あまりにも怒りすぎていたので、一度口をついて出たら相手を全否定
するような言い方になっていたと思うし、一度あなたの言動が嫌だ、と言って
しまったら、もうその人すべてを拒絶してしまいそうな気がしたので、相手に
嫌われることを恐れたというよりも、自分が相手と同じ職場でやっていくため
に、トラブルにしないよう、不愉快だったことを押し込めて見ないようにして
いました。

しかし、わたしがからかわれたことに対しては、抗議してももちろんいいはず
なんです。でもそれができていないということで、自分で自分の「名誉」を
守ってあげられていなかったわけで、自尊心は傷ついているし、言いたいことが
言えずにストレスは溜まるし、ついに体に影響が出て(うつと不整脈)、もう
限界、っていうところで、こういう見方をするところに来ました。
「罪を憎んで人を憎まず」っていうことでしょうか。

逆に、自分には全く悪意がなくても、「普通そういう内容なら変化球で和らげて
言うでしょ」というようなことを直球で投げちゃって、相手を不愉快にさせて
いることってあるんだろうな、と思います。でも世の中の人の方が「大人」だ
から、それをわたしにすぐフィードバックしたりしなかったりするんですよね。
だから気づかない。で、中には「突然変化球で」返してくることがあったりする
のかも。
結局はお互い様ってことなのでしょうね。

[#6414] ASに関する説明について
 went メール  - 05/5/15(日) 0:16 -

引用なし
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   ▼ハーティさん:

>診断レポートにはっきりアスペルガー症候群と書いてあったのですが、息子がそれをどの程度理解しているのかわかりません。
>認知の偏りも自分では理解していないとのこと。
>分かっていないのか、分かっていても、無関心なのか、分かりたくないのか・・
>あなたはこういう傾向があるみたいよ。ASとは、こういうものよ。
>と説明したほうがいいのでしょうか。

2 ASに関する説明について

 私がひきこもっていた頃、自閉症スペクトラムという言葉はほとんど知られていなかったようです。LD(ただし、当時は「学習障害」という言葉のほうが多く使われていたように思います。)という言葉が、教育関係者や小児科医の一部に知られていた程度だと思います。
 私の場合、LDのことを知り自分が非言語性LDに近いと確信→LD関連の本を読みあさっているうちに、自閉症スペクトラムについて知る→自分がASに近いと確信し、ASという角度からもいろいろと考えるようになる といったルートをたどりました。
 
 「自分がLDやASに近いと確信することや、それらについていろいろと考えること」について、ショックや不快感はなかったです。
 ただ、それには、「いろいろな幸運なできごと」に恵まれていたことが背景にあります。

・LDや自閉症スペクトラムについて知ったのが、ある程度精神的に落ち着いた状態にあったときだった。
 
 前に書いたカウンセリングを始めてから1年近く経ったときに、LDのことを知りました。
 もしも、カウンセリング前に知ったならば、「LDならば、自分を曲げて非LDの邪魔にならない人間になることを目指さなければいけない」という方向で考えたでしょう。そして、事態はもっと悪くなったと思います。
 落ち着いた状態だったから、「自分を曲げることを考えるよりも、LDという角度から処世術について考えたほうがよさそうだ。」と捉えることができたのだと思います。

・LDを知ったのは、'91年、教育・医学とは全く関係のない雑学雑誌からだった。
 
 この雑誌は、「読者から寄せられた疑問に編集者が回答する」スタイルをとっていました。
 雑学雑誌だったから、子供をどのように変えていくかといったようなことは書かれていなかったのです。
 「LDが隠れていることが原因で、誤解されたり理不尽な仕打ちを受けている子供がいる。LDについて、理解する必要がある。」「LDの子供は、それらの仕打ちに耐えて、がんばっている。それらをわかってほしい。」というトーンの記事でした。
 これを読んで、「非言語性LDって、まさしく私のことではないか。」と思いました。原因がわかってうれしいと思うと同時に、「今更わかっても、何にもならない。」とも思いました。
 
 それから2年近く経った頃、「ある作業療法士が、某市にLD児教育のための施設をつくった」という新聞記事を見ました。
 これを見て、「そこでなされていることは、私にも参考になるかもしれない。」と思いました。それから、関連本を読みあさるようになりました。

・初めて読んだLD関連本が、私にとってとてもよい本であった。
 また、自閉症スペクトラムを知るまでに読んだAS本のほとんどが、'80年代後半に出されたものであった。関連本の数も少なかった。

 初めて読んだ本は、『教室のなかの学習障害』上野一彦著 有斐閣新書 です。'84年初版という古い本なので、入手困難かもしれません。
 「学習障害の子は無能なわけではない。学び方や上達の過程が独特なのである。その子に合った方法を工夫することが大切だ。」ということも、はっきりと書かれていました。
 ショックを受けないで、LDやASについて考えようという気になれたのは、これが書かれていたことが大きいと思います。
 
 '80年代後半に出された本は、「学習障害という言葉を聞いたことがない教師や親に向けて、わかりやすくしかも親にショックを与えにくい説明を試みる」ことが中心となっていました。
 「LD児はそのままでいたら邪魔者にしかならない。そのことを早く本人に判らせる必要がある。そして、邪魔者にならないように治療・矯正しなければならない。」という見解が、私の目に触れることはほとんどなかったのです。
 (今出ている出版物・マスコミ情報の一部には、それらの見解が隠れていると思えるものがあります。)

 また、この時期と今とは、LDの定義が微妙に異なっています。
 当時の定義は、「『学力・言葉・注意集中・社会性・運動』のいずれか或は複数の領域に、困難を抱えている」でした。
 今では、「学力の困難」が重視されています。

・LD関連本には、「大人になってからのこと」についてはほとんど触れられていなかった。

 「子供のこと」について書かれているから、「大人である自分自身に、これこれこういう問題がある」という方向に意識が向きにくかった。そのため、「自分を追い詰めずにすんだ」という面があったと思います。


 LDを知るタイミングが悪かったら、次のような思いを持ったかもしれません。

 これまで、「普通に・人並みにやらないと、社会から落ちこぼれる」と思ってきた。そのために、自分本来の意志や感情を押し殺し麻痺させてがんばってきた。そしてその結果、何とか今までやってきた。
 今ここで、「あんたはLDだ。LDは脳の微細な障害だ。障害だから一生治らない。」というのは、「今までがんばってきて、普通というレベルに何とか踏みとどまってきた」ことを否定することだ。否定されるなんて嫌だ。

 もしもこれと似た状態でASを知ったのなら、「あなたはASだ。だから、これこれこういう問題点について真剣に考える必要がある。」という方向で考えるのは苦しいかもしれません。
 「自分には、これこれこういう課題がある」という方向よりも、「自分がASであるかどうかは別として、ASを踏まえた処世術を考えてみるのもいいかもしれない。ひょっとしたら、楽になるヒントが得られるかもしれない。」という方向のほうが、いいかもしれません。

[#6429] コミュニケーション訓練団体について
 went メール  - 05/5/16(月) 0:52 -

引用なし
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   3 「コミュニケーション能力をつける(と謳われている)ための訓練」をやっている団体について

 [#6191]でも書きましたが、不登校・ひきこもり支援団体の中には、軽度発達障害に理解がない団体が多いように思えます。
 他に、私の住んでいる某県には、「人間関係を学ぶレクリエーション指導授業」というオリジナルの授業を実践している人がいます。
 この授業に対する地元マスコミの報道は、「褒めよ・称えよ」一色です。
 しかし、私にはこの授業のような取り組みは、「ASの人には合わないこともありうる」と思っています(授業の詳細や理由は後述)。

 消極的な書き込みになりますが、
「そのような団体に過度の期待を持たない」
「もしも、それらの団体に参加したことで事態が悪くなっても、本人を責めない」
ことを考えたほうがいいかもしれません。
 
 「自分が思ったり感じたりすることは、他の人から見るとおかしいものに違いない。おかしい状態を矯正しなければ、他人から受け入れてもらえない。人と仲良くできなければ、社会から落ちこぼれる。」という思いにとらわれている状態で、そのような団体に近づくのは危険かもしれません(私の場合は、火に油を注ぐ結果となりました)。

  20代前半、このような思いにとらわれていた私は、アルバイト・ボランティア・話し方教室等のいろいろな集団に参加していました。
 しかし、何一つとしてうまくいきませんでした。やればやるほど、「自分は人間失格だ」という思いが強まるばかりでした。
 このような状態での「話し方教室参加体験」については、[#135]でも書いています。
 そして、挙句の果てに、「心理学を応用した自己開発セミナー」なんてものを受講して、ますます混乱が強まりました。
 その当時は、「自分で自分の身を守る」ことで手一杯だったのだと思います。「他の人と仲良くするスキルを身につける」余裕など、なかったのだと思います。

 次に、「人間関係を学ぶレクリエーション指導授業」について書きます。
 この授業の一例を挙げます。「保育園や老人ホームで、園児や老人との交流を通じて人とのかかわり方やより良いコミュニケーションのあり方を学んでいく」という実習があります。
 「相手の心の有り様というものを推察して、その心に沿った行動をすることが大切」とか、「園児や老人と接して、自分のこととして相手に気持ちを寄せていきながら、相手がどうしたら喜んでくれるか」ということを考える学習」とかいうふうに、マスコミでは報道されています。
 
 私の身近にいる受講者複数について書きます。
 どうやら、この受講者達は、「どんな発言や行動がこの場で相手に歓迎されるのかを読み取る力に難のある、人なんていない」と信じているようです。
 「これまで勉強さえやってりゃよいという態度を取り続けていたから、そういうことになったんだ。」という解釈をしていました。
 「私はよりよい人間関係を作るように努力している。だけど、その人は努力しなかった。そういうことは許せない。」という言葉まで、浴びせた人達もいます。
 20代の頃の私が受講していたら、「園児や老人にひどいことをした人」と非難されたのでは……と思います(今の私でも、自信ありません)。

 対人スキルが要求されるのは、人と仲良くする場面だけではないと思います。人間関係でトラブルが発生している時もそうだと思います。必要な対人スキルには、他人との対立・交渉・回避等のための技術もあると思います。
 これらの技術の中には、「他人を疑う・嫌うこと、他人に異議を述べること等」があると思います。
 果たして、「コミュニケーション能力をつける(と謳われている)ための訓練」では、これらの力についてふれられているのでしょうか?
 疑問を感じます。
 「それらの力を身につける機会に恵まれなかった、成人ASの人って結構いるのではないか」と、私は密かに疑っています。

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