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初めまして、私は二十歳の大学生です。授業でたまたまASの名前が出、少し気になってここで書き込みさせてもらいます。
私は小さい頃から人見知りが激しく、友達がなかなか作れませんでした。小学校中学年の頃、自分に友達が出来ないのは自分が自発的に話すことができないからではないかと思い、極端に自分の言いたいことを相手の気持ちなどおかまいなしに言うようになりました。何度も何度も同じ主張を繰り返すことがあり、「いいかげんにして!何度も同じことを言わないで!!」と母親に怒られたことがあります。また親や先生の言い付けがすべて正しいことだと思っていて、友達に宿題を見せてあげるという行為が理解できませんでした。子供の中の暗黙のルールというのが理解できなかった私は、登下校だけ供にする友達はいても、休み時間一緒に遊ぶような友達はいませんでした。
しかし小学校5年生の終わり頃、自分のおちゃらけた行動がたまたまクラスメートにウケて、友達を作るには「変な人を演技すればいいんだ」と思いついてそれ以来ずっとおちゃらけた言動をするようになりました。そうしてからはだいぶ友達も増えました。正義感が強く、自己主張が激しいのは相変わらずで、よくクラスの不良っぽい男子とケンカをしていました。
中学に入ってから、私はやっと社会の暗黙のルールと言うものを理解しました。きっかけは、私の友達が同級生をいじめはじめたことからです。先生の言うことが絶対だった以前の私なら、そこは体を張ってでも止める所でしたが自分もいじめられるのが恐くて出来ませんでした。そこで初めて、先生が言う「正しいこと」は必ずしも私たち子供の間では通用しないと言うことがわかりました。それから、自分の言動がいかに他人を傷つけていたかを知り、いままでの価値観が総崩れになり、「自分の言うことは全て間違っていたんだ。」という極論に達し、自分はしゃべってはいけない人間なんだと思い込みました。
それから対人恐怖症に陥り、高校三年間は自分が話せそうと思った人以外、ほとんどクラスメートと会話をかわすことなく終わりました。その分、自分のようにいつまでたってもクラスに溶け込めず社会性の無いような人間に対して周囲がどのような反応を見せるかを十分に観察して知ることが出来ました。
今は完全に対人恐怖症も直り、逆にまったく敵を作らないような生き方をしています。今思うと、私はクラス替えや進学のたびに性格を変えていました。もはや以前と今の自分を比べるとあまりにもキャラや価値観、声や表情すら、周囲の私に対する接し方もあまりに違い過ぎて、本当に昔の自分は自分だったのかもわからなくなります。そして他人から認められることを渇望しているのに、最後に結局誰も理解してくれないんだと突き放してしまう癖もわかってきて、どうしようもない空しさがあります。
今ではいやと言うほど社会のルールを知り、生活する上では全く問題もなく暮らしています。最近母親が、ACと境界性人格障害と診断され、ちょっと私がヘンテコなのも仕方ないかなと思うようになり私自身もACかもしれないと少し自覚しています。すでに悩むネタも尽きたので、思い悩むこともありませんがカウンセリングを受けて私の今までの生き方の言い訳を見つけたいという気持ちもあります。ただ私の今までやってきたことも思春期に誰でもありがちな事かもしれませんし、むやにやたらに興味本位でカウンセリングを受けるのもどうかと思っています。実際何も困ってませんし、皆さんはどう思いますか?
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