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山口県の方で、なんか凄い悲惨な事件が起きたらしい。
ダメなんだよ。
取り返しのつかない事件になってから、後からアンバランスな力関係が問題になるくらいじゃ、遅いんだよ。
あらゆる社会問題の被害者で、犯罪を“我慢”している者はいっぱいいると思う。
そういう人たちにいけない前例を見せちゃいけないよ。
実力行使しないと注目されないとか、そういうのを作りあげちゃいけないよ。
我慢して助けを待つやり方に対する、絶望とか、不信とか、そういうのが決定的になって、そういう被害者が大量に集まった時に、中東のような反体制集団が出来上がるんだよ。
被害者には、いつまでも、いつまでも理不尽を我慢してて欲しい
世間は虐げられている人のことなんて忘れちゃうけど、被害者には、一般社会のことも憎まないで、いつまでも、いつまでもバランスの取れたパーソナリティーで、実力行使につながるような憎悪なんて、まわりが困るから持たないでいてほしい
一般人はそんな願いを持ちたいだろうけれど、“みんなの都合のために、感情とか人間性を放棄してください”“人権を放棄して理不尽も抱え込んでいてください”なんて言われて、納得して承諾する筋合いのある人なんて、どこにもいないんだよ。
戦争や内乱がいけないなら、それに変わる問題解決能力を国ぐるみで身に付けないとならないじゃないか。
中東の歴史は教養が無いからよくわかってないけど、日本の、不満を持つ層が結束しないのは、東西南北に長い国の形をしていて、とりあえずの逃げ場もあり、平和だからというのもあるけど、コミュニケーション能力が無いからという理由もあるかもしれない。
裏を返すならコミュニケーション能力を身に付けたら、コミュニケーション能力を持っている人が引っ張ったら、何をするかわからない。
インターネットがこれだけ普及していて、私を含めて、それに依存している人が多数いると言うことは、もしかすると何万人もコミュニケーションに飢えているということが、日本人の正体かもしれない。
自分の主体性を放棄してもいい価値を感じられて、けん引してくれる存在が現れたら、付いていっちゃうのかもしれない。
時代が進んで、進んで、インターネットの限界があらわになって、やっぱりリアルのコミュニケーションを見直して、戻ろうという動きになった時がきたら、放置されていた依存性とか、幼児性とかが、コントロールされないままリアルに持ち込まれる危険がある。
その時に、一般人は対処できるのかしら。
一般人にもスペクトラムがあるのかと思わされるくらい、個性がバラバラなんですけど。
でも実権を握っているのは一般人なんですけど。
何ができるのかしら。何をしてくれるのかしら。
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