|
人の身体は、何種もの栄養を取り入れないと機能しないようにできている。
身体の中で自給自足できる栄養はほぼ皆無、
一種が極端に欠けていてそれが何十年も当たり前になっただけで、
生活習慣病の潜在的な引き金になる。
炭水化物、たんぱく質、食物繊維、ビタミン、ミネラル
どれもこれも、「これは全然無くていいよ」なんていう栄養素は存在しない。
私、人間関係や会話でも本音はこのくらい多種類に渡った、人からの影響を必要としてる、と思える。
“会話”栄養が必要と思えてる。
“何が”が抜けた会話
“だれが”が分からない指示やエピソード
“どのくらいどうする”の結論も内容も省かれた会話
切って良しと一般人に簡単に判断される会話
勝手に作られる脈略 私に伝わってないうちに作られる脈略
聞き取ることを諦めさせられるエピソード
分かるまで聞き返すことも打ち切られ
打ち切られた責任も始めから存在しないことにされ
私が勝手に聞き流したことに責任転嫁され
その責任転嫁を積極的に引き受けることを
謙そんとされ
慎みとされ
心遣いとされ
従順とされ
適応とされ
自己主張の無いおしとやかさとされ
知ってる。
我慢だって栄養の一つ。
無いと『自己愛』や『自己主張』が毒素に化学変化して、人格が別れるまで24時間暴れまわるから。
過去、もっともっと過去に、薬をもらうたび、この悪魔が肥やされていくような嫌な感覚を感じていた。
その一方で、薬は私を鎮めてくれるものであり、私は薬に頼らなければならないのであり、私は薬を信じて薬を決められた通りに飲まなければならないのであり、薬が明確な到達点や、私が人様からほめてもらえるような回復像の目標を具体的に見せてくれなくても盲目的に信じなければならないものである!みたいな信念も揺るがずに持っていた。
だって私は社会に従順だから!いい子だから!
絶対に道は踏み外さない、ここから一歩も外れない!心をガチガチに固めてもいた。
精神の栄養が、“我慢”と“弛緩”だけで済むわけが無い!
私は医療に頼って統合失調症になろうとしていたのかい!?
躁と鬱かい!?
違う!
私が目指したいのはどんな人間に囲まれた環境なのか
察してもらえないんだったら、通じるまで聞きだす人
その中に何かまずいところがあったら、否定する人
0%か100%じゃなくって、どこが、どう、どうしてなのか言葉を私用に作って言える人
義務があったら私にさせる人
急きたてる人、教える人、命じる人
ほめる人、つなぐ人
雑談をふる人、私に出来ない役を引き受けてくれる人
頼る人、鏡になって確認させてくれる人
遊ぶ人、ゆるませてくれる人、引く人、同等の人、
仲裁する人、調整をする人、客観視する人、頼られる人、休ませる人
全部無い。
足りない。
とても足りない。
とても過去には泣きながら朦朧と徹夜でネットサーフィンもした。夜が明けてもまだ足りなかった。何が足りないのかの答えが足りなかった。
出歩いた。読んだ。眺めた。食べた。飲んだ。自己紹介をした。あいさつをした。
初対面のあいさつとお別れのあいさつをした。
だれもが私に割ける時間と言葉はそこまでだった。短い。足りない。
籠っては出た。籠っては出た。
「気晴らしを楽しんでください」私を心配した善意の人たちに中途半端な助言をされるがままに、従った。
従うものがそれしかないから頑張って従った。ちょうど良くなくても無我夢中で忠実に従った。
薬が増えても胸がバクバクしても食欲とか睡眠が狂って行っても、私の頭の中は私が服従する日々の項目でいっぱいだった。
全身が綿のように疲れても頭の中に再燃映像が大音量で流れ、私は私を叱咤し脅迫し続けた。
立ち止まったら未来は無いんだから。
どうしてかも人は説明してくれない。私のことをどう思っていて何をどうしたら何が達成されて必ずほめてくれるのかを言われない。
医療は、ほめてくれそうな予感を永遠に煽るだけ!
その向こうを見せてくれない!
支援も組織も私を縛ってくれない!
でも負けない。私は人に期待されるいい子だから!人に良く思われなきゃいけないから!
怨みなんて見せない。人を不快にする態度なんて取らない。喧嘩になることなんてしない!人と関わったらそれだけの責任を負うことを理解している私だから。まとまっていないことを表になんて書きこまない私だから。
私はいかにも足りている顔をして、過剰適応する。
一般人にとっては日常の普通の顔。私にとっては過剰反応の顔。
私が取りきれない責任を、一緒に請け負ってくれたり減らしてくれたりするシステムになってない。
精神の栄養失調による、何かの崩壊を発症する時は近づいている。何年先かはわからない。
そう、崩壊の時は日々近づいているよ。
|
|