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ASの私たち、邪魔であることは確かな存在だけどルール上、排除も隔離もまだしちゃいけない存在。
価値が正式には決まっていない存在。
かしづいてなんてもらえなくていいけど、罵ってももらえない。
そして、私から社会にしがみつかないと、お金はもちろん
(手を変え品を変え、働けるでしょ?って言ってくるバリエーションだけは世間様にはある。)
仕事すら
(架空の“私に合う理想の仕事”っていう夢だけ見させても、従順ないい子をしてたらだれかが具体的な働き口をお膳立てしてくれるわけじゃない。)
黙っててもあてがわれない。
しかし、多くの人が私に不満を黙っててほしがってる。
不満を持ってるかいないかは関係ない。
黙ってて欲しいのだ。
ネットの中の人も、ネットの外の人も、分からないことを分からないままにするのが気になって突きつめ出す私に、居場所を与えられない。
こうして私は、ASに残された能力とこだわりをフル装備してガっつくしか生き方は無くなる。
自然体とか、素直とか、後世代にとても見栄えのいい、見せやすい生き方をする余地は無いんである。
見本が欲しい子は、何を見て育てばいいんだろう。
ASは本来、モデル大好きな特性のはずなのに。
福祉就労をしている自閉だけを、テレビやDVDなどの資料から、将来像としてひたすら見せられ続けてしまえばいいんだろうか。
そして本能的に“福祉就労もどうも自分に合わない。”と感じた子は、本能の警告を感じる自分と、孤立を避けるために周囲の指導を嫌がらずに従順に受け入れ続ける自分とを乖離させながら、二次障害を加速させていくしかないんだろうか。
そうして二次障害を加速させながら、周囲の言葉や望みと一致しない自分を始終責めて、生産の効率を落として、世論や周囲から「あなたは弱い!弱い!」と言われ続けていく運命が似合っているのだろうか。
私たちの世代だけで、悪循環をやめる方法は無いんだろうか。
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