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私はバカになっていくのか。
数少ない“私と会話できる人間たち”が、どうもお酒を飲んでから私としゃべるような気がする。
私の過剰適応の腕はいつ磨くのか?
より落ち度の無い、よりゴ―マンさの無い、謙虚で、失礼の無い、人の立場も過去のプロセスも考えた、自分の意志も適度に表示した、きれいな日本語で、その場にふさわしい、隠れ発達障害持ちにもふさわしい、独り身おばさんの身の程にもふさわしい、その場にいる人々の年齢層や構成員の価値観や立場や心情にもふさわしい配慮を出来た、主張し過ぎない、目立ち過ぎない、見苦しいほどには流され過ぎない、時代の求めにもほど良く反応した、抜かりの無いちょうど良さを理解した社会人にふさわしい、威圧感なんて与えない、私に期待された、私の役割に忠実な言葉。流れと立ち位置を読んだ受け答え。
私は忍耐と適応に身を投じた人間。
お金が欲しいから適応する人間。たとえそれが過剰でも。
自分を堕とす覚悟があるのに。詫びる覚悟があるのに。
顔が引きつり心臓が動悸して自律神経を暴走させても、きれいな言葉を使って会話を頑張る覚悟があるのに。
私の発言順番を省略される。自主的に放棄させられる。
もっともっと受け答え能力を磨きたい。向上させたい。いいこと言えるようになりたい。
でもお酒の乗りが支配する上滑りのおしゃべりが空回りする場にしか最近居させてもらえない。まとまらない脈略。移り変わり続ける話題の核心。忘却の彼方にブッ飛んでいく議論の焦点。落とし所も結論も出さないまま忘却の彼方。
社会性を総動員して愛想を返せる私。薄い討論にその場は合わせられる私。
短くした言葉で場に合わせて一緒に思考停止した振りもできる私。
不満も嫌な気分も整理できないそのままに、私バカになる?
アドレナリンもオキシトシンもセロトニンも、私は何を頭に充満させて帰ればいいのか、何も決めてもらえないまま。社会からの収穫を自主放棄した人という、私の暗黙の肩書き。
それで得たお金で炭水化物を喰らい続けるケモノ。
隠れてインターネットと映画もむさぼる。でも形になって残ったのは数値が上がった体重と有形無形の荷物。粗相と落ち度にまみれた私の体面。
だからアルコールで薄められ忘却の彼方に飛んだ議論を、そのまま見送るバカになる?
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