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私はヒトに産まれてしまった。
ヒトだから、働くなり、くれる場所で手を出すなりして“ちょうだい、ちょうだい”しないと、空中からお金は湧いて出て来ないんである。
“ちょうだい、ちょうだい”は、親の手元の養育中や学習の場で、やり方を教わったら、基本、もうだれも自分の代わりにやらない。
親は自動的に老衰する。現実に本当に病院のベッドに横たわる姿を見る日が来る。
ベッドの上から点滴が吊るされ、その先は白くて太い、不敷布テープの束の中に隠れ、親の肌に張り付く。
布団の中から伸びた管が、ベッドの下にも伸びて、サイズの大きいビニール容器に繋がる。
腕には、皮膚の限界まで検査のために針を刺しては抜き、刺しては抜きをした、紫の針痕の群れ。
染められなくて、免疫も下がって、増える白髪、そして細る身体。
身体の厚いガーゼの下には、塞がりかけている傷。生きる戦いの跡。
人生で積み立ててきた体力、生命力をかき集めて、自己回復力にして、細胞同士、互いに繋がり合い、協力し合って手術痕を塞ごうと、炎症も発熱も乗り越えようと、24時間働く細胞。
病院食を食べるために、プラスチックの箸入れから、カチャカチャいわせながらマイ箸を出し、湯呑みを差し出しながらほうじ茶を入れるよう、少ない体力を使ってしゃべりながら頼まれる。
明らかにオーラが変わった、弱った姿を見下ろす日が、Xデ―が存在する。
あって当然の日が来るだけだから、うろたえない。
怒るなんて問題外。
もう親のこの身体には、私のどんな問題をも、背負わせる筋合いは無い。
私たちを育てるために使った健康、返上した休息、私たちが壊してきた体面、堆積させたストレス。
だから私に何が起こっても、もうこの親には私を保護する義務は無い。労力を使う義務は無い。
だから私は、自分の身体はお金で支え続ける。
お金で食事を買い、お金で部屋を暖め、お金で病院にかかる。
車なんかのトラブルもお金を(保険で)掛けて解決する。
ヒトのトラブルも要はこだわりとこだわり、またこだわり
そして抑圧と自虐と、自分への誤魔化しで振り切る。
国の後ろ盾が無い。消耗と体面を失うリスクは常に能力を上回り、赤字収支。
でもヒトとお金にこだわる。再燃してもこだわる。
どこでもヒトと一緒にいるだけで、ヒトの望む人間像になりきらなくちゃならない。
自分の都合を見せないヒト。
ヒトを安心させ、無難に自己主張をしなさそうな人物像。
理想的な安全な人物像。
脳の何かを抑圧するために炭水化物が止まらなくなる。
おそらくヒトに迷惑を掛けないための、自分の“機嫌”を保つために、脳に思考停止させられる物質でも出てきているような気がする。
というか、むかしは炭水化物くらいで押さえられた、と言ってもいいかもしれない。
今は、私の理性みたいなものが裏と表に分かれてしまったようなもので、かつ、自分の状況を言葉で説明しない訓練(皆に皆の都合と生活ペースと価値観と個性の違いがあることを無言で押し付けられる思いをして来たから、私が満たされることを自主放棄して自分を病ませるのが気遣いであり役割だという結論しかもらえた気がしない。)をされたのが身体に残っているような気がするから、私の顔色を見て黙って察してくれる能力のあるヒトが常に付き添うことを約束されなければ、時々リバウンドのように、これからも積極奇異ASの側面が暴走していくのかもしれない。
私に生活習慣病が出たら、うつろな顔つきで炭水化物をあさる、一時しのぎももう通用しなくなる。
一般の人なら情緒不安定は薬で抑えられるんだろうね。
私はネットで得られる情報相応の、知的欲求が刺激されるおしゃべり、または薬と併用して情緒と生活のコントロールと、私の頭まるごとを“取り込み”する矛先を用意することで、表も裏もを管理するしかないだろう。
用意なんて当ては無いんだけど。
定期的に約束された賞賛、約束された私の存在価値、約束された私についての記憶、予定も展開も事前に用意されて、知らされて、プライドが満たされる保証も付いている予定調和で出来たイベント、そんなのが保証されれば、脳の足りない物質を求めて、私が分裂することそのものを我慢できる可能性もできよう。
予定されたあいさつ、予定された機嫌、
予定された気遣い、予定された感謝、
予定された会話、予定された食事、
予定された価値観の一致、予定された波長の一致、
予定された嗜好の一致、予定された同族のみの結束感、
予定された二次会と予定された理解とつながり。
予定された関係構築の成功体験。
「どうしたいの?」なんて一切聞かれない関係。
私が努力として謙遜して奉仕して自虐して評価されて達成感と満足と共に勝ち取った信頼。
つつましく受動的に謙遜してても予定通りプログラムが立てられ、決められ、与えてもらえる関係。
… … … これら、発達障害に必要とされているものとして資料にマニュアルのようにあげられているものは、今の私には全て、存在しない、架空の理想。
どこかに電話をして問い合わせる。
「………ありますか?」
「あるよ」
「予約します」
そんな調和の取れた約束の中では、架空の理想は与えられないんだ。わかった。
現場に着いて言われる。「無いよ」
そして○年後。「そこもうやってないよ(--メ)」
もういい。調べてのこのこ行けばもらえる平和なサービスなんて○ソクラエだ。
脳が求めるんだ。
引き換えで得られる助けを。
謙遜や奉仕や自虐の努力で、苦痛の引き換えで御褒美として手に入る環境にならなければ、私達は更生しない。
ASの特性のひとつ、再燃がしつこいことと変更その他が許せないことを、許せる状態に出来る薬として、開発されているのがあのオキシトシン。ホルモン。
子どもいない。私達独身使えないAS群がこのオキシトシン無しで社会を渡る覚悟で、もう社会に出てきちゃっているんである。
嫌がられる存在でも、しゃしゃり出るんである!
そして悪循環になるパターン?『あいつらホルモンの元なんて普及させなくても、問題無いんでしょ。めんどくさいから広めない。』偉い一般の人たちがお得意の、いつの間にかなあなあに流していくパターン。
そんな下心に媚なんてしない。
いじめれば黙ってる存在だとは思わせない。
有りのままで突進するんである!
責任は、放置した側にある。
何を巻き散らそうが、生きて食べていくという義務を果たすだけで手一杯なのが真相なのだ。
勝手に一般社会を彷徨われたくなければ、精神的にだけで良いから、日本の模範的発達障害のモデルを作れ。
社会認知実行して、高知能対応の理想像を設定して、誉めて伸ばして、頭をいっぱいにして管理しろ!
理想の思想で釣れば、本物のオキシトシン点鼻薬を用意しなくても勝手にその世界に住みつくから。
住むと決めたら社会の話も家族の言うことも誰の言うことも聞かなくなって住みつけるから、関係者のケアとかで根回しする役職を用意すればいいじゃない。
私も含めて、発達障害が発達障害に、一般の人が発達障害相手に、発達障害が一般の人相手に、勝手に各自が理想像作って、勝手に人を巻き込んで、勝手に自爆してるから、問題やトラブルの残骸処分にも、何年も人手が使われるんだ。
そして発達障害が国の視界からも避けられる原因になるんだ。
お金(命)、尊厳さえ確保すれば、ASは各自の世界に閉じこもれるし、ピタッと静かになれるはず。
その潜在能力は持ってるはずだ。
いつまでもうまく管理できない、然るべきほうも悪いんだ。
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