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一般の人と信頼関係を作っていく過程には、
誤解され、誤解し、それを訂正し、真相を確認して次へ進もうとする姿勢を見せ、
見せたつもりでもひとりよがりせず、それを共有するところまで、
時に必要に応じて、しつこく確認をしていく作業をすることになる。
はっきり言って、すぐ結果が欲しい傾向にある発達障害みんなに、これを必須科目としてさせるのは、私だけじゃなくてもギャパシティ超えて病んじゃうから無理。
当人という存在が、集団に加わった時、その生態が支離滅裂で周囲には分からなくなる段階がだいたい必ず来るから、本音を探られる段階になる。
本性探られる。
つつしんでいたのにねえ。
無いものは袖を振っても出てこない。
それを角が立たないように説明したり、冗談に和えて誤魔化したりするのにも、言葉を作る年数と訓練が要る。
「どうしてそんなこと考えるの?どうして?ねえどうして?」と詰め寄られた時。「じゃあ私の一日の日課を立ててくれますか。スケジュール表を作ってくれますか。プログラムを立ててくれますか。」っていうのが言い分とか反論であるわけだけど、
これをリアルで現実の一般の人にまんま言うわけにもいかない。
角の立たない、言いたいことは伝わって、問い詰めを中断は出来るといううまい言葉は無いものか。
これが分からないことが、私の実践力の無さということなんだ。
それでとりあえず追いつめられて使うしかない言葉が『ごめんなさい』しか無いわけ。
突き詰めると筋が通っていない言葉なので、将来に向けて病気の元を溜めているとも言える。ほんとは、自分の首を絞めない代わりの言葉は、新しく研究開発するしかない。
でも実力が無いからできない。
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