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みなさん、こんにちは。バッハ大好きな方が多くて嬉しい限りです。
Naveさん、マキナさん
体調を気遣っていただき、ありがとうございます。現在今までの病気とはまた別な病気の疑いが出てきてせっせと裏づけデータを取っている所です。
掲示板は気分転換になるので、疲れない程度に参加しています。
>>なるほど、そうなんですか。
>>音符が3段だと、楽譜的には読みやすそうですね。でもやっぱり、手が何本も欲しくなりますね。釜じい状態だ。
>>でもあの楽譜を足で弾くのですか。すごい技ですね。足、二本で弾くのですか?
>
>4声っ!!すごいです。すでに2声が限界です。さぼってますし。後、腕が
>2本あったら弾けそうですが。。無理ですね。ハモンドオルガンもいくら
>練習しても無理でした。
もう鍵盤から離れているのでさすがに今は4声は無理です(練習すればまた弾けるようになるかもしれませんが)。
演奏している所、確かに釜じい状態です。大きなパイプオルガンになると鍵盤が4,5段になるので、すごい格好になります。おまけにそれに足鍵盤が加わると腕や足を目一杯伸ばすため、とても人様には見せられない姿になります(笑)。音色もストップ(音栓)を変えていくので手伝ってもらう人が必要です。
足鍵盤はエレクトーンなどをやっている人だとすぐに慣れると思います。私は最初苦労しましたが、練習しているうちに次第に動かせるようになりました。ただ、パイプオルガンだと2本足で旋律も弾くのでエレクトーンの動きよりも複雑になります(バッハのフーガでも低音部のメロディーはけっこう足鍵盤で弾いています)。
ハモンドオルガンもいいですよね。元々パイプオルガンが置けない教会でも本格的な演奏できるように開発されたものだと聞いています。
>>ピアノのタッチ(弾き心地)にも、すごくこだわったらしいですね。一般的なタッチレスポンスとは違ったものを求めていたそうですが、なるほど、オルガンの影響でしたか。
>>ちなみに最終的なマイ・ピアノは日本製だったらしいですね。
>
>そうですそうです。STEINWAYの持ち運びに限界がきて、コンサートを辞めた時
>に、気が変ったそうです。(しかし、グランドピアノを持ち運ぶってのも。。)
グールドファンも多くて嬉しいです。色々「伝説」がある人ですよね。そう言えば以前NHKの「ラジオ深夜便」であるピアニストが15歳の時にグールドに会ったそうで、その時のエピソードを話していました。友人の縁でトロントに行った際、レッスンをつけてもらおうとグールドの家に訪ねて行った所、普段は人嫌いの彼が丁寧に応対した上に、使いを通して「私はあなたにレッスンはつけられません。そもそも演奏というのは人に教えてもらうものではなく、自分で考えていくものだからです」という返事をよこしたそうです。彼女はそのアドバイスは後々とても役に立ったと話していました。
ピアノを持ち運ぶと言えばホロヴィッツも確か来日時に持ち込んで話題になっていたと思います。やはり楽器は本人にとって身体の一部でしょうから、こだわるんでしょうね。
>ヨー・ヨ−・マもいいですね。あれだけ大手術をしたのに、明るくて好きです。
>音も明るいです。レナード・ローズもいいですよ。チェロを音をぱきぱきと
>潔い演奏をしていて、逆に存在感を感じます。ソリストとしては、どうなの
>だろう?と、思いつつ、室内楽にはぴったりの人です。
>
>>でも、よいですよね。>「バッハ無伴奏チェロ組曲」
>
>泣けます。子供の頃にラジオで聴いて、「こんなに美しい音楽があるなんて」
>と、思って、それからクラシック巡業がはじまりました。バッハは私の
>音楽好きの原点です。
チェリストと言えばジャクリーヌ・デュ・プレという多発性硬化症で夭逝した女性演奏家もいましたよね(映画化もされていました)。彼女の演奏もけっこう好きでした。同じ曲でも演奏家が違うと雰囲気が変わりますよね。
>どうしても、ヨーロッパでは、戦争が続いていたので、亡命などの色んな
>事情があったのに、音楽家たちの「残したい。演奏したい。」という熱意と
>強い精神力で現在があると思っています。
>
>そういう意味でも、音楽というモノの力をとても強く感じてしまいます。
戦争の影響は大きいですね。大学生の頃ナチス時代を知っているドイツ人神父と話をしていても一本筋が通った信念の強さを感じました(頑固とも言えますが)。
カザルスはナチスやフランコに協力した国では演奏しないというポリシーだったそうで、日本ではコンサートをしなかったんですよね。ショパンも祖国を失った悲しみを曲に託していますから、歴史の複雑さを感じます。
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