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aikidonotatujin さんへ
レントさんへ
武道・武術を志す人々のほとんどが、「強さ」を求めて始めるのだろうと、私も思いますし(弓道のような精神性の高い武道もありますが。)、
私自身にそういう思いがなかったか、と言えば、多いにありました。
ですが、私の場合、42歳の中年から始めた空手です。
さらに神経症の持病への対症療法を求めてのものでした。もはや「強さ」への憧れよりも、心身の健康法であり、趣味であり、気合入れみたいな感じでした。
確かに護身という気持ちはありました。
力で挑まれ、どうしても体で対応せざるを得ないとき、相手を制圧するノウハウを持ちたいというものです。勝つ必要はないのです。勝ち方にも色々あるでしょうが、後々恨みが出る勝ち方では、うまい勝ち方ではありません。その場が収まればいいわけです。「負けるが勝ち」というのも、勝ちの一種かも知れません。
最も簡単な護身は、頭を下げてお詫びを言うことかもしれません。これなら、誰でも出来ます。
それでも相手が聞かず、挑みかかられたら何が最も有効かと考えたとき、私は合気道その他の柔術を思い浮かべます。ケンカの場合、殴り合いから取っ組み合いに突入していきます。いわゆる「団子状態」になると、技さえ出せないことにもなってくるでしょう。タックルを掛けられたり、組み付かれると、打撃系格闘技は弱いところがあります。
しかし、相手が複数の場合ではどうでしょうか?
大東流の武田惣角に二本松事件というのがあります。
明治15年に福島の二本松で、土方工夫40人を一人で相手に闘った乱闘事件です。惣角は負傷しながらもその場から脱出し、警察沙汰になりましたが、正当防衛が認められたというものです。
似たような話は武道家、格闘家には、今でもままあります。
数年前、「月刊 秘伝」を読んでたら、中国拳法家の蘇東成さんが新宿・歌舞伎町で50人相手のケンカをしたと言ってました。
このような場合、先ず逃げることで相手に包囲網を作らせないこと、直線の状況を作って追っ手を少しずつ倒していくのがコツだそうですが、台湾ではこの種のケンカになると、すぐに相手を二重の輪で囲んで攻めて来るので怖いとも、インタビューで語ってました。
二年位前だったか、K−1ファイターの須藤元気さんがトレーニングの帰りに、路上で通り魔に刃物で脇腹を刺されたことがありましたが、不意をつかれれば、ある程度強い人でもやられてしまいます。
武道・武術で培われる強さ、いやそもそも「強さ」の行き着く先とは、
「こころの強さ」のことだと、私は思っています。
また、武道であれ、習い事は何であれ、自分がやっていて楽しい、上達がうれしいという実感がないと続かないと思っています。
あとは、稽古仲間との人間関係、仲間意識がうまくないとダメですね。
☆レントさんへ
初対面のぶしつけで大変失礼しますが、お尋ねしたいのですが…。
太気拳は、王向斉の唯一の日本人弟子、沢井健一宗師のものですね。
以前に沢井先生についての本を読んだことがあります。(『拳聖 沢井健一』だったかな?)
差し支えなければ、どのような稽古法をしているのか、お教え願えませんか? 空手のような形、カンクウとかチントウとか、みたいな形稽古というのは、あるのでしょうか?
まさかタントウ(立禅) 2時間とかやってませんよね???
「練り」とか「這い」(これは形意拳の稽古法だったでしょうか?)みたいな稽古をするのでしょうか?
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