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私は射撃競技が好きで、外国に住んでいた時は、その国の法律に
基づき、合法的な手続きを経て射撃の練習をしていました。
もっとも、格闘技の意味合いの強い種類の射撃競技は、練習するのに
弾丸代を湯水の様に使わなきゃならないので、しかたなくオリンピック
射撃にあるような、一発、一発を丁寧に狙って撃つタイプを選んで
妥協していましたけど....。
ここで話は私が中高生だった頃に飛びますが、私がたまたま
持っていたGUN雑誌を見つけた一人の教師が、その雑誌をパラパラと
めくって見た後で「こういう雑誌を見ていたら人を撃ちたくなるんだ!」
と、偉そうにこちらに説教を垂れたものでした。暴力を使う練習を
していると、他人に暴力を振るいたくなると言いたいなら、
なぜその学校にあった「柔道部」や「剣道部」を同じように
批難しないのでしょうか?
さらに、私が通っていたその学校と同じ町内には、毎年の様に
国体でベスト20に入賞する「アーチェリー部」を持つ学校が
ありましたが、その「アンチガン教師」が、そこで部活動を
しているアーチェリー部員を
「あんな事やっていると他人を弓矢で撃ち殺したくなるんだ!」
とか言って批判するのを聞いたことは、一度もありませんでした。
この書き込みを読んでいる人の中に、教師や教員免許を
持っている人が居るかどうかわかりませんが、あの新米教師
みたいな、教師になって3ー4年で、大学と自分の勤め先の
学校以外に何も見た事が無い若造に、ただ自分が教師で、
あの頃の私が生徒だったからという、それだけの理由で、
射撃の世界を知りもしない癖に生徒が興味を持っている事を
頭ごなしに、否定するとは愚の骨頂です。
実際、元柔道部だったが途中で止めた、とか元空手部だった
とかボクシング部だったが途中で止めた(そして今では
ヤンキー少年しているが、格闘技の経験があるので、
ケンカする前から相手が警戒して、ヤンキー連中の中で
大きな顔が出来る)といった者たちも沢山います。
手に何も持たない状態で、他人に暴力を振るう練習を
している生徒への指導は疎かにして、弾の出ない
オモチャに対して想像の翼を広げているのを
潰してしまうのは「本末転倒」ではないでしょうか?
柔道や剣道を通じての人格教育を言うのであれば、
射撃の経験者として一言言わせて頂きますが、
射撃競技の中でも私が少しばかり関わりを持った
オリンピックスタイルの標的射撃と言うものは、
狙って撃つまでのプロセスの中に、残酷と表現して
差し支え無い位に、自分と真剣に向き合う時間を
否応なしに持つ、非常に厳しいスポーツです。
それは丁度、座禅を組んだり、日記を毎日書き続けた
後で自分が去年の今日、一体何をしていたかを
鮮明に思い出す行為にも匹敵する物です。
大学にいた間に、コンパや遊び半分のボランティア
活動をしていたかと思うと、教師となって生徒に
対して急に偉そうな態度を取り、その裏では
自分に関係ある教科の中の重要項目を自分の家の
あちこちに、カンニングペーパーみたいにベタベタ
貼り付けている教師も、私の知り合いの英語教師に
いました。こういった程度の度量しか無い人間が
いかにも偉そうに生徒に人間教育をする資格も、
自分が一度も接した経験のない事柄について、
射撃でも、それ以外でも語る資格もありません。
もしもこれを読んだ教育関係者で、反論があれば
どうぞご意見をお聞かせください。
お待ちしております。
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