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▼Cyperusさん:
> 3日の土曜日の夜、7:30〜10:00の間NHK総合で、『日本のこれから』ということで、いじめ問題に対する討論がもたれていました。
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>>そこでみなさんに質問です!
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>(1).学校時代に受けたいじめの中で、『フラッシュバック』になって困るほど、ひどいと感じたのは、どのような類のものですか?
書くと長くなるので、省略します。
>(2).子ども達の言い分としては、『いじめられる側にも問題がある』という意見があり、『じゃあ、それはどんなところ?』とたずねると、『自己中心的』だからと口をそろえて答えていました。これについてどう思いますか?
他の皆さんのレスに賛成です。更に、次にあげることも付け加えます。
'06年11月19日毎日新聞に掲載された、「富田林市の中1自殺」関連記事です。
http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/edu/alive/news/20061119ddm041040078000c.html
「『チビ』と言われていることを65人(44%)が知っていた。しかし、『実際に自分が言った』という回答はゼロだった。という記述が、私には気になります。
「自分にはいじめている自覚はない。しかし、他の人はいじめている。他の人がいじめているのは、いじめられる側が自己中心的だからなのだろう。」という発想もあるのではないか。私にはそのように思えます。
>(3).(1)(2)を踏まえて、いじめ問題の解決のためには、『どこがどのように』アクションを起こしていくことが必要だと思いますか?
「何を以って解決とみなすのか」ということも、考える必要があると思います。
いじめという行為には「自己の尊厳を崩壊させる」という問題が付きものだと、私には思えます。「自己」には、いじめた側のそれも含まれます。自己の尊厳が侵されているから、「『自分のいいところを探す・見つける・伸ばす』のではなく『他人を見下して自分を浮かび上がらせる』という発想に走る」という面があるのかもしれない、わたしはそう考えています。
「とりあえず、いじめはなくなった。しかし、崩壊した自己の尊厳を修復させることについては、何も考えられていなかった。」という状態ならば、「解決」とみなすのは危険だと思います。
子供時分の私に提案された解決策は、「いじめられた側が自らの思想信条・行動様態を曲げさえすれば、いじめは解決する。いじめた側は、何ら態度や思考を変える必要はない。」というものでした。
しかし、私にとってこの策は、「結局いじめを容認すること」「いじめを受けた自己を否定する行為」「いじめられたくなかったら(私たちもそうしているのだから)あなたもそうしろという、同調圧力」そのものとしか思えませんでした。
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