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▼Chiquititaさん:
>最近、発達障害関連のサイトや身体障害(変形性股関節症)のサイトを見ていて感じるのは、どうしても障害者が女性のケースよりも男性のケースのほうが人間関係(特に恋愛関係)で数倍苦労しているケースが多いように感じるということです。
>やはり世の中の女性は障害者を訳隔てなく恋愛の対象として見てくれる人は少ないのでしょうか?
「男性のほうが苦労しているケースが多い」というよりも、「女性の場合は、そのことを話題にしない」といったところではないかと、私は思っています。
「異性に選ばれないとダメ」とか「条件のいい(とみなされた)異性と結ばれることは名誉」とかいったプレッシャーは、女性にも強くかかっていると思います。このプレッシャーについて、私は「胡散臭さ」を感じているんですけどね。そのことについては後で書きます。
女性の場合は、「『結婚して子供を生む』ということを、人生目的における重要な位置に置くように幼い頃から仕向けられる」「その価値観を内面化してしまい、恋愛関係での苦労について語ることを、無意識的に自主規制してしまう」ことがあるのでは……と私は思っています。
例えば、叱られたときに「そんなことをすると、お嫁の貰い手がなくなるよ」という言い方をされた女性は、私だけではないと思います。
また、女性の場合、「『異性に選ばれたい』という欲望のはっきりと出た言動を取る(と周りから思われる)ことは、いけないこと」という思いを持つ人が多いのではないかと思います。
それ故、「『周囲からの反感を買わないように工夫すること』と『男性に自分を選ばせるように工夫や努力をする』ことを同時にやらなければいけない」ということになって、恋愛関係の苦労を話題にしないということになるのでは……と、私は思っています。
私は、大学時代は工学部の学生でした。研究室等で男子学生と話す機会は、結構ありました。話していて、次のような印象を持ったことを思い出しました。
・何か、男性の中には、「異性にもてる・もてない」といったことを同性間のランク付けに使いたがる人がいるみたいだ。私の身近にいる女性は、ランク付けには関心がないみたいだけど。
ここからは、wentの個人的見解について書きます。
「Chiquititaさんは、『恋愛の対象として見られない』ことを問題視している」というふうに、私は解釈しました。
しかし、私には、別のところに「問題」があるのかもしれないと思えるのです。ただし、この「問題」を私は、「Chiquititaさんが持つ問題」というより「世にはびこっている問題」と捉えています。
別のところにある「問題」とは、次のことです。
1「異性に選ばれることが、社会的承認を得るために必要な条件の一つだ」と思い込む(疑問を持たない)こと
2 「恋愛して当たり前」「パートナーがいて当たり前」と考え、「そういう状況にいないのは、本人ひとりに問題があるから」と決め付けること
3 その人が恋愛したがっているのかどうかということすら考えず、頼まれもしないのに変な助言をやりたがる人がいること(しかも、やりたがる人は、えてして主観的には善意のつもりだったりする)
4 1〜3について熟考しないで、「じぶんよりモテているように見える人」や「モテるかどうかを気にしない人」や「自分を相手にしてくれない人」に対して敵意をもつこと
恋愛というのは、「極々私的な一つの経験」だと思います。それを「社会的承認を得るための必要な条件」に仕立ててしまうことに、私は疑問を持っています。
「好きな人がいること」「パートナーがいること」それ自体は、素敵なことだと思います。しかし、そのことを「他人に対してもそうすべきである」という規範的な圧力として使うのは、別のことだと思います。
好きな人がいなくてもパートナーがいなくても、素敵な生き方はできると思います。
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