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初めまして。
時々この掲示板を覗かせてもらっています。
書き込みはほとんどしないのですが、今回はとても気になったので…。
Chiquititaさんがどうしても恋愛を諦められない気持ち、よくわかります。
といいながらも、人間というのはどうしても自分の経験や感情からしか考察できないので、もし見当違いなことを書いてしまったらごめんなさい。
Chiquititaさんが「発達障害」でも「身体障害」でも疎外感を感じ、「障害=恥」という概念を払拭できなくて苦しんでいらっしゃるのがよく伝わってきます。
Chiquititaさんは、その疎外感を「人に愛されること」で解消したいと思っていらっしゃるのではないでしょうか。
今はまだ「恋愛したい(お互いに愛し合いたい)」というよりも「人から愛されたい」という気持ちが強いような感じを受けます。
どうしてこんな勝手なことを一方的に書き綴っているかというと、実は私がそうだったからです。
私は(多分)何らかの発達障害を持ち、他人と正常な関係を築くことができません。
自分が普通ではないことを中学時代にいじめによって知り、それまで自分の世界でのんきに生きてきた私は自己存在を揺るがされるほどのショックを受けました。
その結果、私はいくつかの二次障害に悩まされるようになりました。
そして私の両親は、そんな私を恥じて責めました。
Chiquititaさんがご両親に「障害=恥」と刷り込まれたように、私は「精神病=恥」と言い続けられました。
高校生だった私は、なけなしの貯金を下ろし、親にも内緒でこっそりと病院に通っていました。
それ以来、Chiquititaさんと同じように「発達障害」と「(私の場合)二次障害」の二重の疎外感を感じ続けていました。
そして、誰かに愛されることでこの疎外感や自己否定感がなくなるのではないかと考え、ひたすら愛情を求めていたように思います。
誰かに気休めの言葉をかけられるたび「そんな言葉なんかいらない! 言葉より愛情をくれよ!」と思っていました。
その後私は、いくつかの恋愛めいたことをしました。
今思えば、それは恋愛などというものではなく、ただ自分を慰めるためだけに相手を利用したようなものです。
私は自分のことを恋愛に対して自由奔放な人間だと思っていますが、実は相手のことを考えた本当の恋愛というものはしたことがないのかも…(汗)
今でも多分、私が知っている「愛情」と世間で言う「愛情」は違うような気がしています。
けれどそれでも、誰かに抱きしめられ愛していると言われることは、私の大きな力になりました。
普通の人間でなくても、二次障害を抱えていても、人に好かれることができるのだということを知り、そこで初めて私は自分自身のことをそのまま受け入れられるようになりました。
それまでには長〜〜い年月が必要でしたけどね(笑)
こういう体験から、私はChiquititaさんにも恋愛は必要だと思います。
「自分自身を好きになれ」だとか「恋愛以外にも人生の価値は見出せる」だとかいう言葉は、(親を含め)誰かに愛されることで自己の根っこをしっかりと持って初めて言えることだと思います。
ただし、これは私の失敗でもあるのですが、相手は自分の母親ではありません。
無条件で受け入れてもらおうなど、やはりこちらのワガママでしかないのです。
相手には相手の事情があり、個人として尊重すべき存在なのだということをわかっていないと、健全な恋愛関係は築けませんので、ご注意を…。
私は、疎外感を感じ自分に自信を持てない人を見ると、自分がそうしてほしかったようについつい抱きしめたくなってしまいます。
耳元で「大丈夫なんだよ」とささやき、不当な扱いや価値観の押しつけに心が苛まれなくていいように、その人のことを守ってあげたくなります。
けれど、最後まで面倒を見れない人に対して、そんな無責任なことをしちゃダメなんですよね。
でも私は、Chiquititaさんのことを応援しています!
いつかChiquititaさんが誰かに受け入れられ、そしてChiquititaさんも愛というものを知り、フラッシュパックや疎外感、自己否定感に悩まされなくてすむ日が来ますように…。
一方的な長文書き込み、すいませんでした。
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