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初めまして。
何か、トレードマークになっている「(^o^)/」が、このスレッドだけは空元気を象徴しているみたいです。
▼brownさん:
>Chiquititaさんがどうしても恋愛を諦められない気持ち、よくわかります。
>といいながらも、人間というのはどうしても自分の経験や感情からしか考察できないので、もし見当違いなことを書いてしまったらごめんなさい。
>
>Chiquititaさんが「発達障害」でも「身体障害」でも疎外感を感じ、「障害=恥」という概念を払拭できなくて苦しんでいらっしゃるのがよく伝わってきます。
>Chiquititaさんは、その疎外感を「人に愛されること」で解消したいと思っていらっしゃるのではないでしょうか。
>今はまだ「恋愛したい(お互いに愛し合いたい)」というよりも「人から愛されたい」という気持ちが強いような感じを受けます。
そのとおりです。今まで43年間生きてきたのに、43年分に見合った愛情を受けていないので、このまま社会から歓迎されない存在で一生を終わるのがたまらなくイヤなのです。
それでも、どうしてもダブルで障害を抱えていることばかりが心に重くのしかかっており、発達障害だけでも生きる希望を失いかけている方々の心情をおもんぱかることが出来ない自分に、今は苛立ちを覚えています。
>どうしてこんな勝手なことを一方的に書き綴っているかというと、実は私がそうだったからです。
>(中略)
>そして私の両親は、そんな私を恥じて責めました。
>Chiquititaさんがご両親に「障害=恥」と刷り込まれたように、私は「精神病=恥」と言い続けられました。
>高校生だった私は、なけなしの貯金を下ろし、親にも内緒でこっそりと病院に通っていました。
私の場合は高校が進学校だったためにいじめが少なく非常に気楽でしたが、やはり疎外感は深刻でした。今にして思えば、ADHDもアスペルガー症候群も一般的に認知されていない時期だったとしても、自分自身を変えるために何らかのアクションを起こしているべきだったのかと思います。
そういった意味では、大学では親の反対([#4332]を含むスレッドでコメントした統一教会の存在が原因)を押し切ってでも何らかのサークル活動に参加していれば引きこもりは防げたかもしれないです。
大学在学中は、やはり引きこもりが深刻だったので、「みんなが私の身体障害をバカにしているかもしれない」と言って統合失調症の疑いで精神科の診察を受けましたが、親の「病は気から」の一言で診察を勝手に中止され、かえって引きこもりが拡大しました。
[#3103]以下でコメントしたフェティシズムが拡大したのもこの頃でした。
>そして、誰かに愛されることでこの疎外感や自己否定感がなくなるのではないかと考え、ひたすら愛情を求めていたように思います。
>誰かに気休めの言葉をかけられるたび「そんな言葉なんかいらない! 言葉より愛情をくれよ!」と思っていました。
将に現在の私がこの状況です。私に今恋愛が出来れば、今まで身体障害だけで感じてきた苦痛も(敢えて数値化すれば)いっぺんに1/10以下になるように感じます。
私の両親は、常々障害者が恋愛することを「Chiquititaファミリーの恥をわざわざ外部にさらすものだ」と言って反対し、結婚についても「障害が連鎖するから」と社会人になってからも猛反対しました。
しかし親元を離れて一人暮らしをしている今、障害そのものよりも、障害を異常なまでに気にする両親の態度のほうがよほど恥に感じています。それを意地でも証明しなければならない義務感のようなものさえ感じています。
でも恋愛は相手があってこそ可能なもので、この事実の前には今の私はあまりにも無力です。
>その後私は、いくつかの恋愛めいたことをしました。
>今思えば、それは恋愛などというものではなく、ただ自分を慰めるためだけに相手を利用したようなものです。
>私は自分のことを恋愛に対して自由奔放な人間だと思っていますが、実は相手のことを考えた本当の恋愛というものはしたことがないのかも…(汗)
>今でも多分、私が知っている「愛情」と世間で言う「愛情」は違うような気がしています。
そうでしょうね。親から十分な愛情を受けられないで育った子供が、将来結婚していざ自分が子育ての番になると、子供にどういった形で愛情を注いだらいいのか解らず、育児ノイローゼを訴えるケースが多いと聞いています。親の価値観がすべてだと思い込むあまり、自分の思い通りに行動しない子供に対する幼児虐待も後を絶ちません。
昔は善悪をはっきりさせたしつけの元に子育てが行われましたが、今は物が豊かになった分ストレスの源も増え、何が正しくて何が誤っているかの見極めも困難になるあまり、親が自分の価値観を子供に押し付ける、度々コメントしている「しつけ」ではなく「おしつけ」です。
>けれどそれでも、誰かに抱きしめられ愛していると言われることは、私の大きな力になりました。
>普通の人間でなくても、二次障害を抱えていても、人に好かれることができるのだということを知り、そこで初めて私は自分自身のことをそのまま受け入れられるようになりました。
>それまでには長〜〜い年月が必要でしたけどね(笑)
そうです。私の場合も今まで43年間、身内の者以外に好かれた経験がないので、本気で私のことを好きだと思ってくれる女性が現れると、それだけで疎外感も解消するのだと信じています。
誰からも好かれたことのない状況、それが疎外感の本質なのかもしれません。
>こういう体験から、私はChiquititaさんにも恋愛は必要だと思います。
>「自分自身を好きになれ」だとか「恋愛以外にも人生の価値は見出せる」だとかいう言葉は、(親を含め)誰かに愛されることで自己の根っこをしっかりと持って初めて言えることだと思います。
>
>ただし、これは私の失敗でもあるのですが、相手は自分の母親ではありません。
>無条件で受け入れてもらおうなど、やはりこちらのワガママでしかないのです。
>相手には相手の事情があり、個人として尊重すべき存在なのだということをわかっていないと、健全な恋愛関係は築けませんので、ご注意を…。
そうですね。自己愛の軌道修正が先か、恋愛が先か、というのは「鶏と卵のどちらが先か」という問題に匹敵するぐらい、私にとっては大きいものですが、今の私は自己嫌悪が服を着て歩いているようなものがちょっと方向修正をしただけでもナルシストになってしまうような気がするので、心療内科の手助けが必要です。
やはり相手に受け入れてもらうためには、こちらも「人生に一所懸命」という姿勢をアピールする必要があるのかと感じています。それが否定されたことがあまりにも多かったような気がしますが、私は100歳の誕生日までは意地でも生きるつもりでいますので、残り57年で出来る限り取り戻したいです。
>私は、疎外感を感じ自分に自信を持てない人を見ると、自分がそうしてほしかったようについつい抱きしめたくなってしまいます。
>耳元で「大丈夫なんだよ」とささやき、不当な扱いや価値観の押しつけに心が苛まれなくていいように、その人のことを守ってあげたくなります。
>けれど、最後まで面倒を見れない人に対して、そんな無責任なことをしちゃダメなんですよね。
>
>でも私は、Chiquititaさんのことを応援しています!
>いつかChiquititaさんが誰かに受け入れられ、そしてChiquititaさんも愛というものを知り、フラッシュパックや疎外感、自己否定感に悩まされなくてすむ日が来ますように…。
ありがとうございました。おかげで心が少し軽くなりました。
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