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ほうきぼしさんへ
以前ブログの方で素晴らしいアドバイスを頂きましてた。嬉しかったです。ありがとうございました。
ほうきぼしさんのスレッドを読んで、まだ息子の障害を理解されていなかった時の私への対応とそっくりだったのでびっくりしました。
親戚の方に言われる言葉はきついですね。言われた人にしか分からないかもしれません。距離をおいたほうがいいと思います〜(>.<)。
まだまだ理解がされない障害ですもの、ご主人の親さんも、ご主人自身も自分たちの側には責任がないと言いたいのでしょう。障害を受け入れることが出来ないのだと思います。
普通にしか見えない隠れた症状がまさか、遺伝的な先天性の脳機能から来ているなんて認めたくないのです。
私も同じようなことを言われました。きっと同じ障害を持つ子供の親は同じような言葉を言われたことがあるのだと思います。
私は泣きながら、ある自閉症の子育て掲示板に書き込みをしました。親の会の人にも話をしました。やっぱり泣いちゃいました。
そうしたら、みんな同じようなことを言われていました。私は自分の心の整理が出来るまで、主人の実家へ会いに行くことも、電話をすることもしませんでした。
自分にとっても、相手にとっても、子供にとっても理解されないところへ行くことになんのメリットもありません。ひどくなるだけなら・・と、距離をおいたのです。
私は舅や姑だけでなく、義理の兄夫婦にも「躾のせいだ」と思われていました。障害がわかってからは、遠まわしに義理の兄夫婦は私たちと距離を置いています。何年も会っていません。
義理の兄嫁から「うちの近くにも、きちがいがいてね」と口をすべらせました。
「も」はうちの子供たちのことです。
「私は生理的に許せないのよ。ぜったいに理解できない。自分の子供もそうだったらどうしよう。ぜったいyumeちゃんの方の遺伝子だよ。絶対だよ。だってうちの子は普通だもん。うちの子は違うよね」と錯乱していました。これは疎遠になる前の会話です。
遺伝的に主人の方であっては、兄嫁のショックが多きすぎるのでしょう。私はあきれてしまいました。兄嫁はあきらかな強迫神経症になっていました。遺伝のことを心配して、離婚騒ぎまで起こしたのです。私は息子の主治医に相談しました。
主治医は「兄嫁は幼児性が抜けていない人ですから、ずっと高いところから見守ってあげましょう。」笑ってしまいました。「傷つくために会わないほうがいいですよ。きっと会うたびに傷つくことをいいますから」私は先生の言葉にホッと胸をなでおろしました。
今年はそれでも兄嫁から電話がありました。でもやっぱり理解はされていないようです。「わたしだったらそんな子供育てられないよ。やっていけないわ〜、yumeちゃんだから出来るんだよ。悟りを開いたんだね。うんうん」励ましたつもりだったのでしょう。心理学を勉強していると相手の誇示欲がちらちらと見えたりします。完璧な嫁でありたいようです。義理姉には私の遺伝のせいだから大丈夫ですよと安心させる言葉を言っておきました。私は自分を褒めましたね。
私は義理姉が言う「悟り」を開いたわけじゃありません。ただ、いらないものを切り捨てる頭の切り替えをしただけなのです。
私の検査結果が健常者レベルだったことは内緒にしてあります。また錯乱して離婚騒ぎを起こすから・・。優しい嘘を突き通します。みんなの幸せのために・・。
自分の言葉一つで離婚したら、義理兄がかわいそうすぎますもの。そして義理の父や母までが辛い思いを抱えてしまいます。みんなが不幸になったら私もまた不幸になってしまいます。円満でいるための嘘は自分のための嘘でもあるのです。
ほうきぼしさんも、ずっーっと高いところから「諭してあげる」といいのかもしれません。言葉は消えないくらいの傷をつけもします。が、逆に人を救うことも出来ます。それはいつか自分に必ず返ってくるものだと思うのです。
ご主人たちも、自分の中にある不安をほうきぼしさんにぶつけただけだと推測できます。
私の主人も舅も姑も一年前までは理解できませんでした。
でも、姑が去年、私に言ってくれたことや、私をさりげなく気遣ってくれる言葉をくれました。私は姑と舅に今までの優しさのお礼も言えないで、心配事ばかり話していた自分のことも反省して、手紙を書きました。
理解をしてもらう努力をしてみたのです。自分がどんな風に頑張って子育てをしてきたか、自分のブログをプリントアウトして見せました。
自分が活動してきた経緯もそのままコピーして見せました。署名活動も話しました。そして、いままでの心配をかけてしまうことばかり話していたことを謝りました。その上で、姑や舅が今までいろいろと配慮をしてくれていたことは、私がわかっていること、感謝していることを書きました。息子たちを理解してほしいけど、まずは自分という人間の人となりを分かってもらえるようにしました。客観的に読めるように手紙にしたのです。
姑は「孫のためなら何でもするよ」と言ってくれた時に涙がとまりませんでした。 親戚の中で一人でも理解してくれる人がいると思えたのです。舅も言いたいこともあるでしょうが、ぐっとこらえてくれています。ひどいことを言われてから、8年目のことです。
私には必要な時間でした。息子を主人に預けて「あなたたちに出来ると思うのなら子育てしてみなさい」と預けた時もありました。すぐに帰されてきたり、主人は子供に虐待をしてしまって落ち込んでいました。子供には本当にかわいそうなことをしましたが・・(泣)。私といる時は全然問題なく過ごせるのは何故か?を説明したこともありました。
私も便乗して愚痴を言ってしまいましたが(汗)ちょっとスッキリしました。
いつかは、理解してくれると信じてゆっくりですが、一歩ずつ進んでいける自分でありたいです。
一緒に泣いて、いっぱい泣いた後に、ゆっくり歩けるようになりますよ。また一緒に子育てのことで話てみたいです。
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