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初めまして。(^o^)/
▼岡本(仮名)さん:
>過去3回ほど一般就労しましたが、私自身、いつも人間関係で悩みやめてしまう傾向にあります。また私自身の自覚として対人接触がとても負担になり、抗不安剤を飲んでやっと生活しております。
私も経験していることですが、過去に人間関係で重大なトラウマを抱える原因となる事件があると対人不安が非常に深刻になります。
岡本さんの場合は、学校でのいじめや勤め先での理不尽な人事といった経験はございますか?
とりわけ発達障害があると、定型発達者(すなわち発達障害のない人)にとって何でもない人と人とのコミュニケーションに困難を感じることが多く、それらは定型発達者の感覚では「ありえない」ことなのでなかなか理解を得ることができません。誤解や軋轢を招くことが多いです。
甚だしい場合は、家族の者が相手であっても人間関係が苦痛に感じることも珍しくありません。
>私は障害者雇用では、なかなか就職が見つからないと思い、一般就労(配達関係)の仕事に就きたいと思っているのですが、ASなんだと思うと、障害者雇用がいいのか?悩んでおります。
この辺はあまり深刻に捉える必要はないと、私は考えています。
というのも、私は発達障害だけでなく身体障害も抱えていますが、ごく普通にコンピュータ技師の仕事をしているからです。
自分に得意/不得意の見極め能力が十分あれば、誰にでもできそうな仕事で無力感を感じるよりも、自分の得意な分野でできるだけレベルの高い仕事に挑む、というのも可能かと存じます。(だからといってそれが岡本さんにもベストかどうかは解らないが)
興味だけで仕事を長続きさせることができるほど社会は生易しいものではありませんが、興味というのは職探しの条件に含めても構わないかと思います。
>私自身、ほかの人と違う物事のとらえ方をしてしまうようです。そのためか、色々な事で困難になります。たとえば、世間体とかにとらわれて、働かないでいると家に居るのが居づらく感じてしまったり、また、対人面においても、変に緊張・不安になってしまうようです。また、普段は温厚な性格たと自分では思っているのですが、些細な事で、自分自身が誤解してしまい、人間関係が円滑にいかなくなってしまう場合もあるようです(-_-;)。
それは私も感じています。
仕事ができないでいることに対する罪悪感というのは、自分が社会の一員として認めてもらいたいという意欲を如実に示したものだと思います。
逆に社会に出ても役に立たないことが解っているから、といった消極的な考えで社会との間にバリケードを作ろうとするのも(基本的には私の考えとは相容れないものですが)、対人関係で壁に当たると自分自身の存在が社会に受け入れてもらえているのかどうか疑問視していることの現れだと考えられ、むしろ当然のことかもしれません。
そういったときでも、「常に私には味方がいる」という考えは精神的な支柱になっており、私も4年間の長きにわたり「館」にはお世話になっております。
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