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私は、ほぼ確実に高アスの父に育てられました(母親の例でなくスミマセン)。職住密着型の自営、友人がいないので何時も家族で遊びたがりました。癇癪が多かった。母への暴力も多かった。3歳前後は、ほぼ1年位、しゃっくりが止まらないほど泣かされて、大体夕食後ですが、1週間に最低1度は、母とトボトボ夜道を1〜2時間歩いていました。
小学校4年生の日曜日、机に向かっていると、父がしっつこくドライブに誘う。断るとすさまじく怒って出て行ってしまった。大人がそんな事するなんて!呆然としました。父には、そろそろ娘が自己主張すること。机の上にのっている絵のこと。娘が楽しそうなこと。あと1時間待てば終わるそうなこと諸々の情報関連の認知がができなかったのでしょう。初めて父を批判の目で見ました。こうした自己主張の衝突は3歳下の弟が自我に目覚めて、父があきらめるまで続きました。
癇癪は、ひどいと5時間続きます。しかも、個別におきます。誰も全体は見ていません。一度だけですが外部でおきて、異常なものですから信号交差点の車中ですが「大丈夫ですか」と人がよってきました。さらに、父が道を尋ねに農家に入っていったのですが、そこの婦人もわざわざ「大丈夫ですか」と表まで見にきてくれました。弟は、父が認知の隙間を努力で埋めたので、こうした被害は全く少ない。
外部から見ると正常です。出社拒否が続いて家業を継いだので、わがままな人とは見られました。なんと私が公的相談所にいれられてしまいました。その頃は、人権意識が低かったのでしょう。全指紋をとられました。
高ASの人は、自分が人にした事とその事によって人がもった感情との関連付けができない。なんのくったくもなく、また遊ぼうとよってくる。私の息子もそうです。
断ると不快を示し、どうしてだと聞いてくる。「自分の胸に聞いてみろ。」と言ってはいけないらしいが、「大人の高ASは、多数派に適応してくれないと」とは思います。母が死んでからは、言葉の虐待です。ひどかった。家業が傾いて廃業したので、出社拒否。深夜から朝の5時まで続きます。時間の点は、息子と同じ。
ネットで、「水谷紀子」−(母親のための心理カウンセラー、本人は高ASと自覚)
「Rosamode」−(二人子育て中)と打ち込むとヒットします。
当時者の人にとっては、ひどいことを言いました。ごめんなさい。
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