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▼三月うさぎさん:
こんばんは。
>ゆうべ、この掲示板に書き込んでるのをチラリと見てしまった息子。
>寝る前に「今日は、我慢して座ってられた」と、言い出しまして、
>今日も「我慢して座ってられる。昨日もじっとしていた」と、言ってくれました。
読んでいてふと思ったのですが、息子さんはどのくらい「椅子に座っていなくてはいけない」ということに対して必要性を感じているのか、ということが気になりました。
ただ我慢していなければいけない、というのは今は我慢をする必要性を感じているから座っている、ということですよね。
でもここに大人が感じていることと息子さんが感じていることのズレを感じます。大人の立場からすれば「授業や式典の間に座っているのはマナーとして当然のこと」という認識がありますが、息子さんにしたらじっとしていると新しい刺激が入ってこないから、まるで座禅の修行のような状態になっているのかもしれません。
式典っていつもと先生や同級生の雰囲気が全然違ってくるし、みんなまじめな表情で緊張気味なので幼い頃はどうしてもそれがおかしくて笑い出したり騒ぎたくなるような衝動に駆られたことを妙に覚えています(親から静かにしているよう厳しく言われていたのでさすがに実行したことはないのですが)。
どうして授業中は静かに座っていないといけないのか、式典はどういう行事で誰のためのものか、自分の役割は何なのか、そういう場所ではどうしていないといけないのか、といった確認をもう一度息子さんとしてみるといいかもしれません。その中で息子さんの認識を聞き出してみるともしかしたら理由が分かるのかな、とも思いました。
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