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だいぶ昔のことです。
弟にこんなことを言われました。
「兄貴の歩き方、見ているだけで恥ずかしい。何とかしろ。」
身障者の兄に向かってなんと言う言い草、とばかり大立ち回りになりました。
しかし、我が家ではこういったことは日常茶飯事でした。
父は今から11年前に亡くなりましたが、生前から発達障害や身体障害に偏見を持っていました。このため、父との間では、父が亡くなるまでの30年間、同居していながらほとんどスキンシップがありませんでした。
こういったこともあり、父が死んだときは、人の死に直接接しての悲しみも感じましたが、むしろ清々(せいせい)しています。
夢枕に立つ父の姿は、たいていが酒乱癖で暴れているか、凶器を持った無差別通り魔の姿です。
そんな中、最近になって、父も当事者ではないのか、と思わせるような証拠が続々挙がってくるようになりました。
●車の運転中、自分が案内標識を見落として道に迷ったのに、迷子になってパニックになっているものだから家族に当り散らした。
●職場での人間関係を全部家庭に持ち帰り、家族に当り散らした。
●私と同じくカラオケは好きなのだが、選曲に関しては好き嫌いが非常に多かったので、レパートリーは10曲ぐらいしかなかった。
●弟の結婚にあたって、配偶者の親類に▲▲学会の信者が多数いることで結婚に猛反対したのだが、その理由を尋ねたところ、根室で漁師をしていたときに同じ漁船に学会の信者が乗り込んでいて、その人との間で折り合いが非常に悪かったのが原因だといわれた。
●新聞が天地逆だとまったく文字が読めない。etc.
おそらく、父も自分自身、発達障害というのはある程度認識していたのでしょうが、信じたくなかった。私にはそう思えます。
はなから障害を馬鹿にしていたわけではなく、自分と同じ障害が息子にも遺伝したことが信じられなかった。おまけに身体障害の駄目押しもあった。
父は会社でも飲み友達は少なかったようですが、私のような重複障害者がいるという家庭の内情を悟られたくなかったのが理由だったのでしょう。
御家族の方も無理解、という状況は、やはりほとんどが「同居の人間が障害者だなんて信じたくない」というのが本音なのでしょうかね、皆さん?
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