|
非常にヘビーなテーマだと感じていますが、お付き合いさせて下さい。
▼くくさん:
>アスペルガーは「個性なだけ」ではないのでしょうか?
私もこのテーマで大いに悩みました。
▼引用順がめちゃくちゃになりますが:
>精神科で、「アスペルガーは障害だけれども、個性ですよね。」
>と先生に聞きました。
>先生は、「障害は個性ではありません。障害です。」と仰りました。
私自身も発達障害はあくまでも障害、という考えに今以て縛られています。
その理由は:
●発達障害によりもたらされたコミュニケーション能力の問題が、いじめや幼少期の虐待(あくまでも言葉による虐待だけだが)につながった。
●過去にも度々コメントしている協調運動障害の問題(最近も[#11451]でコメントしています)が、身体障害のリハビリを阻害している。
●感覚過敏もいじめの原因になったことがある。
勉強以外で何かアピールできるものがあれば、たとえいじめがひどくてもクラスメートらに一目置かれていたかもしれません。
しかし現実は、「Chiquititaは勉強しか能のない奴」という印象を周りに与えていただけでした。その証拠に、私が苦手だった体育の授業は、クラスメートにとって絶好の反撃の機会でした。(その理由は[#11133]でコメントしています)
社会人になってもなお人間関係での不利益が多い状態が深刻なので、原因を探っていたところ、たまたま新聞(地元紙)の記事でADHDを、そしてASを知り、ショックを感じました。
私は、身体障害だけの障害者だけでないという事実がはっきりしたとき、精神的に再起不能に陥るほどのショックを感じました。
それでも、私はADHDやASを障害だと知って安心する人の心が理解できます。その理由は、やはり原因がはっきりして対策が立てやすくなるからだと感じています。
>母は、私が幼時のとき検診にひっかっかって検査をしたときは、「様子を見ましょう、とは言われなかった。そこで、「この子は障害児なのですか?」ときくと、「そう思っていただいたほうが無難です。」という答えだった。あれから20年になる。」
私のオフクロも46年来の鬱病で悩んでいますが、私が身障者として生まれてしまったことで周囲の風当たりが強く、また親父のDVも最初はたいしたものでもなかったのが、私の先天性股関節脱臼が見つかったあたりからDVがエスカレートし始めて、育児ノイローゼに悩まされていたそうです。
この状況(当時私は4歳)で「自閉症」の告知をオフクロが受けたものだから、オフクロにとっても発達障害は個性では受け入れられないほどのショックは感じていたでしょう。実際、オフクロは近場の海岸で私を道連れに身投げしようとしたことさえありました。しかし結局母方の祖父に説得されて思い留まりました。
既に父方の親類にカナー症候群(知的障害を伴うタイプの自閉症)の当事者が2名いたこともあり、「自閉症」に関してオフクロが悪いイメージしか抱いていなかったことも、私に対する精神的な虐待につながったと感じています。
>私としては、私の障害というのは個性なのだと、少なくとも、個性を強くしたようなものなんじゃないかと、そう思っているというか、思いたいというか。
そうですね。
そのためには、私はどんな状況でも人生に自信を失わないための強い精神力が必要なのかと感じています。
二重に障害を抱えているために、それさえも家庭の内外で叩きのめされました。ようやく独り立ちをして「心のオアシス」を感じています。現在の環境は周囲も面倒を見てくれているので、非常に居心地が良いです。親元には「逆ホームシック」さえ感じているほどです。
でも、私自身としてはオアシスに安住しているつもりはありません。
オアシスだからこそ成長の絶好の機会と捉えています。
成長してこそ、初めて「障害も個性の一つ」と断言できるものと信じています。
|
|