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▼Chiquititaさん:
>私自身も発達障害はあくまでも障害、という考えに今以て縛られています。
>その理由は:
>●発達障害によりもたらされたコミュニケーション能力の問題が、いじめや幼少期の虐待(あくまでも言葉による虐待だけだが)につながった。
>●過去にも度々コメントしている協調運動障害の問題(最近も[#11451]でコメントしています)が、身体障害のリハビリを阻害している。
>●感覚過敏もいじめの原因になったことがある。
>
>勉強以外で何かアピールできるものがあれば、たとえいじめがひどくてもクラスメートらに一目置かれていたかもしれません。
>しかし現実は、「Chiquititaは勉強しか能のない奴」という印象を周りに与えていただけでした。その証拠に、私が苦手だった体育の授業は、クラスメートにとって絶好の反撃の機会でした。(その理由は[#11133]でコメントしています)
Chiquititaさん久し振りですが、お元気ですか?
私も、発達障害はあくまでも「障害」と捉えられている事に縛られています。
私の場合は、社会生活上、仕事(ものづくりや接客、特殊技術、事務等)に於いても遊びに於いても対人コミュニティーの形成能力が必要不可欠とされていてからです。各々が抱えている「障害」というものが「個性」で捉えてくれれば非常に嬉しく、円満な社会生活が営める事が出来るでしょうが、現実はそれが理想通りに上手く行かないことが多いからです。
しかし、社会が以上の様な状態や状況のままではいけないと思っています。その「障害」をバネにして新たな可能性を見付けようと頑張っている人達が多いし、障害者に対する偏見や差別を無くして、健常者と障害者が共に仲良くやって行ける社会造りを願っている人達がいる事も現実です。また「障害」から色々学び取れる事柄も多々有り、成長の糧にも成り得ます。
>社会人になってもなお人間関係での不利益が多い状態が深刻なので、原因を探っていたところ、たまたま新聞(地元紙)の記事でADHDを、そしてASを知り、ショックを感じました。
私は、30歳前後からその事にようやく気が付く様になりました。当初は「病院へ行くと差別を受けたり仕事を解雇されてしまう、母親に厳しく叱られる。」との恐怖感で、医療機関での受診が出来ず、自己診断だけで済ましておりました。
>それでも、私はADHDやASを障害だと知って安心する人の心が理解できます。その理由は、やはり原因がはっきりして対策が立てやすくなるからだと感じています。
私が近年になってようやく某大学病院の精神神経科で診断を受け、医師から高機能自閉症(=AS)との診断が下された時には、今まで受診に強硬に反対していた母親と私は心底ほっと安心しました。
今思うと、自己診断のみでやるのは非常に怖いと思っています。
「障害」が「個性」として受付けてくれる社会が本格的に実現できたらなあと思う今日この頃です。
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