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▼kazeさん:
はじめまして。AS傾向を持つ19歳の息子がいるユニコーンと申します。私自身は定型なので、kazeさんの直接の疑問には当事者としてお答えできないのですが。
kazeさんのおっしゃりたいことは私の胸の中にすとんと落ちました。私の息子が子どもの時にkazeさんのような方がそばにいて、この子はこういう風に感じているんだよ、だからこういう行動をとるんだ、と教えてくださったらどんなに嬉しかったでしょう。
息子はあるとき、「お母さんより○○クンのほうがずっとぼくの気持ちが分かる。」と言ったことがあります。○○くんというのは息子と似た傾向のある子でした。この言葉は当時の私にはけっこうショックでした。
そうか、この子と私は感じ方が根本的に違うのかもしれない、とそのとき始めて気がつきました。腹をくくって、自分の先入観を消そう、と思った瞬間です。
「以心伝心」と言う言葉は、定型が定型の気持ちを語らずして理解するという意味の言葉だと思いますが、同じ傾向を持つもの同志、なんとなく気持ちが分かり合うというのは当然のことだと思います。
親和性といっていいんでしょうか。
>> つまり、どうも、障害があるというだけでなく、着眼点自体も違うのではないかという事です。
物事の感じ方、捉え方、根本的に違うのだから(人によって程度の差はあると思いますが)当然、着眼点も違うと思います。
> ちょっと関わった事のあるお子さんにしても、その子にとっての対処法を、私はすぐに理解してしまって、それを実行すると、やめてほしいと言われました。
> 私からすると、そういう対処をする事で、その子が楽になるのに・・・と思う訳ですが、それを説明しても理解してもらえない・・・
難しい問題ですね。自分とは違う発想法、感じ方を理解するのはわが子ともいえどとても難しいのです。今の私なら、kazeさんのような方がそばにいてアスペ傾向のある子の気持ちを代弁してもらえたら本当に嬉しい、と思えるのですが、子育て真っ最中、闇夜に船をこいでいるような気持ちの当時の私が、人から「こうした方がいいよ」と言われて素直に聞けたかどうか自信がありません。
自分自身必死すぎて余裕がない、ということもあると思います。こんなに必死に子どものことを考えているのにそれは無意味なの?と。kazeさんのおっしゃるように軽い意味での嫉妬もあるのかもしれませんが、それより、自分のやっていることを否定されることに対する心理的恐怖や、違う感性を認められない嫌悪感もあるような気がします。
> そういう事で、当事者で親という事で、他の親御さんと壁を感じます。
多分、双方が(特に多数派の定型者が)本気で相手の気持ちに歩み寄ろうと思わない限り難しいと思います。でも、これからですよ。発達障害の社会的認知度があがり、これから状況は必ず良くなると思っています。
> アスペの子供を育てるのには、ある意味こんなラッキーな事は無いぐらいに思っていますが、他の親御さんと話すときに、
>えっ?こういうことではないの?と言うような、分析が心の中に浮かんでは消えます。
kazeさんが感じていることは的を射ていることが多いと思います。(自閉症スペクトラムですから万人がみな同じ、とは思いませんが)共有している感性は似ていると思いますから。
発達障害の子の気持ちがわかる大人の当事者、と言うのは今とても教育現場で必要だと思います。子どもが自分で説明できない困難さを言葉で説明してくれるならなおさらです。でも、それをまわりの親たちが素直に受け止めてくれるかどうか・・
人との軋轢や誤解を避けるには「黙して語らず」が無難なのかもしれませんが、kazeさんがご自分の負担にならない形でまわりにゆるゆると啓蒙活動を続ける
ということは大切なことだと思います。kazeさんだけではなく、大人の当事者の方々が声を出し続けて、自分たちのために、そしてこれから育つこどものためにより良い社会を作っていければいいと切に思います。
kazeさんの歯がゆい気持ち文面から痛いほど伝わります。また、良かれと思ってしたことが否定された気持ちの痛みも伝わります。
相手の方もまた違った痛みを感じていると思います。
定型発達者が発達障害を真に理解するには、自分の常識や先入観をある程度捨てて「パラダイムの転換」をしなければならないのです。私もまだ、それはできていないと思います。
kazeさんのブログ拝見しました。これも一つの啓蒙活動だと思います。小さな積み重ねがいつか社会の理解につながると信じてがんばってください。kazeさんは一人ではありませんよ。
kazeさんの立てたスレの趣旨からはずれてしまいました。失礼しました。でも、定型親として、こういう者もいる、ということをお知らせしたくて。
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