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▼非自閉親の一想いさん:
非自閉親の一想いさんへ
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>「がんばって」については、私も自分なりにがんばっていた時に言われて、「これ以上頑張れない」「がんばって、と今は言って欲しくない」と思ったことはあります。それを言った相手の方が、私のことを頑張りが足りないと思っているからこう言ってるんだろうな、と感じると、とても辛かったです。ただ、今はもうこんな風には思わないようになったので、誰かから「がんばって」と言われても辛い気持ちになることはないのですが、自分にも辛かった時期があったので、人に「がんばってるんですね」ということはあっても、「かんばって」とは言わないようにしています。
私も同意です。
ですから、私は人にがんばってと言えない人です。
その代わりの言葉は、日本語と言う豊かな言語の中にきっとあるとも思っています。
日本で頑張ってと同意語で、『ファイト』というのがありますね。
日本人は励ますために、ファイトと言いますが、これが英語なら、『闘え』といわれているのと同じです。
きっと、がんばってと言う言葉も、『闘え』と聞こえているのと同じなのかもしれません。
そういう感じ方なのかもしれません。
>>「お互い様」を、そんな風に感じられるのですね。悲しませてしまったことは、本当に申し訳ないです。私にはkazeさんが悪い、なんて言うつもりは全くありません。でも、私の書いたことでkazeさんがそう感じられたということは、私の書き方が全くダメだったのだと考えなければいけない、と思っています。私が書きたかったのは、アスペでもそうでなくても、親という立場は一緒ですし、違っているところは違っていると情報交換しあったり、お互いの思いを否定し合わない様な、親同士のお付き合いをするためには、「お互い様」の気持ちをお互いに持ち合うことが必要ではないか、と思っていたので、そう伺ってみたのです。
学校での子どものトラブルも同じ様に、同じ空間・場所・時間を共有する限り、『お互い様』だと私も思っています。
当然、親の方もそうだと思っています。
そのお互い様と言う気持が、噛み合わない事もあったので、きっと非自閉親の一想いさんのような方と、話せたのなら、わかってもらえたのかもなぁと思います。
>同じ文章を読んでも、きっとそういったkazeさんの思いも理解しながら読むことのできる方も、たくさんいらっしゃるのでしょう。でも、私はその気持ちを汲み取ることができないままに、読んでしまっていたのだと思います。そう思うと、これは、私の受け取り方の問題だと思うようになりました。
お互い感じ方を、否定する必要はないと無いと思います。
だから、どちらが悪いという言葉はやめませんか?
それ以上のお返事は、非自閉親の一想いさんへ へ書きました。
読んでいただけたら、ありがたいです。
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