|
初めまして。
当事者の立場からお答えさせていただきます。
▼ペコラさん:
> 次の日曜朝、同じ公園で遊んでいると、A君親子が謝罪に来ました。
>親御さんは本心から謝罪してくれましたが、肝心のA君がごめんなさいの言葉の直後、目が笑ってたのにぞっとしました。
> その日も、A君の親の目のある時は和やかに一緒に遊んでいたので安心していたら、双方の親が場を離れたとたん、下の子が「やめてって言っても、靴を遠いところへ投げ捨てられた」と泣いて帰りました。そしてまた直後「ゲーム本見たいから貸して」とA君がニコニコして現れました…絶句。
実を言うと、私もよく「お詫びしているはずなのに顔が笑っている。不謹慎だ」と言われるために悩んでいます。
これについては、医療機関の次回の予約が今週土曜日なのでカウンセリングを検討していますが、「自閉症」系の発達障害は感情のコントロールが困難なケースがあります。
また、自分が起こしたトラブルの重大性がまったく認識できないケースが多いことも、人間関係がうまくいかない原因だと考えられます。
ただ、感情をうまくコントロールできないのは、2次障害かどうか定かではありませんが、http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%82%A5%E3%83%AC%E3%83%83%E3%83%88%E7%97%87%E5%80%99%E7%BE%A4が疑われるかもしれません。
発達障害の当事者の有病率はかなり高いです。
> 差別してはばからぬ物言い、自分勝手なルール変更等に「そういうのはいけない」と諭しても、非を指摘されると「僕は何も悪くない!B(うちの次男)のママはいじめる!」と逆上しますが。
発達障害があると、想定外のシナリオを嫌うことが多いのでどうしても人付き合いを当事者のペースに持ち込むことが多いです。
しかも想定外のシナリオでパニックになったという記憶が残っていると、ASなど高機能タイプはそれを回避するために自分にとってベストなシナリオを考えます。
そうしないとストレスでつぶれてしまうからです。
> うちとC君のケースの共通点は、彼自身より格下と思っている個別の子が「自分より何か上手くできた」り、ジャンケンのようなたわいもないことでも「負けてしまった」時でした。
> ASの子によくある「1番病」ですが、だんだん加害的になってきています。
>自分の非は絶対認めず、人のせいにする。なのに自分が少し何かされると被害者だと相手を責める。
なぜASの当事者が一番手にこだわるのかというと、一番手と最下位は周囲の状況を最も把握しやすい、という特性があるからです。
M社のG氏(毎回世界の長者番付でトップにランクされることでも有名)もこの傾向を指摘されており、自分の会社をコンピュータ業界のナンバーワンにしようと必死で、ライバル会社つぶしに奔走しています。しかも法律に詳しいので割を食った相手は毎回泣き寝入りです。しかしアンチトラスト法(米国の独占禁止法に当たる)で逆に叩かれています。
一番手にこだわる理由は、自分の弱味を他の人に握られたくないからです。プライドを傷つけられることを極度に恐れているからです。だから常に上手に出ないと不安でたまらないのです。
> そうです。自分の親の前ではいい子でいるんです。
>それって、「悪い」という意識はあるはずなんですが?なぜか反省の気配はしません。全て(自分以外の誰かが)悪いせい、と言い張ります。
>
> もう、A君をアスペルガーを理由に大目に見ることは止めます。
自分の親の前で「いい子」を演じるのは、自分の親に弱みを握られていると感じているのも理由の一つかもしれません。
私も[#9793]でコメントしているように、40歳になるまで反抗期の経験はありませんでしたが、最初から親に従順だったわけでなく、親に身体障害や発達障害という弱味を握られていたため、捨てられることを極度に恐れていたのが原因でした。
先週、子供が両親を殺害して自殺するという事件が2件立て続けに起こりましたが、2件とも近所の評判では親子仲睦まじく、また加害者は性格がおとなしくて殺人事件を起こすなんて信じられない、と言われてました。
親のイエスマンでいることに疲れた結果が、こういった事件の背景にあるのでしょう。
…と、ここまで当事者の立場からのコメントゆえ、A君を弁護する内容になってしまいましたが、実を言うと私もA君の言動は許せないものだと感じています★
発達障害が言い訳にしかならない言動であることは火を見るよりも明らかであり、周囲の人たちが知的障害はおろか、ASやADHDなど知的障害を伴わない発達障害に対しても偏見を拡大させる原因になります。
しまいには「発達障害=精神障害」という認識を植えつけてしまい、社会参加を阻む要因になってしまいます。
大切なことは、一人でも多くの人が発達障害の特性を理解し、当事者が当たり前に社会に参加できるようにすることです♪
|
|