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コメントありがとうございます。(^o^)/
2件まとめてのレスになりますが、御了承下さい。
▼れいさん:
>私も長年愛情不足でずっと苦しんで来ました。
>「愛情って何?」というご質問にだけ答えさせてください。
>私もその意味も実体も理解できずに生きてきました。
>でもその答えを見つけました。
>
>これは私自身がたった一人、この人の事だけは確実に愛している!!と
>自信を持って言える人のことを考えたときに実感としてわかったことです。
>
>その人とは「私のこども」です。
>
>「愛とはその人の為に喜んで死ねること」
昔から、「子を持って知る親の恩」と言われていますが、子育ての順番が巡って来て親の立場の大変さが理解できるようになって、初めて愛情の実体が見えてくるのでしょうね。
その意味では、親父は努力不足だったのかもしれませんが、私は積極的に子育てに関与していきたいと考えています。愛情をもって接すれば幼児虐待はありえないというのが私の信念です。
私だけでなく、皆さんにとっても永遠のテーマなのでしょうね。これからも機会を設けて話し合って行きたいと思います。
▼キリンの首さん:
>PTSDについてですが、
>記憶力の高いAS(自閉症スペクトラム)の方々の場合、
>フラッシュ・バックというより、
>タイム・スリップ((C)杉山登志郎 )が起こり、
>いじめや虐待体験でも、まるで今、過去のその場に居合わせているような臨場感があって、深刻な問題である、という趣旨の記述を読んだことがあります。
そうですね。
[#3580]でもコメントしているようなフィットネスクラブでのフラッシュバックで体が硬直してしまうという現象は将にこれです。
体育の授業中に平均台から転落して左腕を骨折したときにみんなに笑われたという、皆さんの経験に照らし合わせても常識外れの展開があったことが、問題を深刻化させていると考えています。
「ひとりごと板」ではすっかりおなじみ(?)の学校の悪夢も、身体障害が絡んで体育の授業が拷問に感じられるような状態が長く続いたから、今もフラッシュバックのネタになっているのでしょうね。
情景やクラスメートが36年前のまま、現在の姿の私がいじめられる、というパターンも、「タイムスリップ」を「タイムスリップ」たらしめていることを如実に示しています。
> 私は記憶力が良い方ではないので、タイム・スリップはありません。
>昔の事を思い出して、今度会ったらあのヤロー! みたいな私念にかられることもありますが、今の処は、すぐにスーッと怒りの潮は引いていきます。
私の場合は、身体障害や発達障害に対する偏見に基づいた一方的な暴力だということが、今もなお思い出し怒りをもたらしているのかもしれません。
いけないことだと解っているのですが、このままでは身体障害も発達障害も自業自得でないだけに我慢するのは想像を絶するほどのストレスです。
だから、昔はTVドラマ「太陽にほえろ!」「西部警察」「Gメン'75」「刑事スタスキー&ハッチ」「チャーリーズ・エンジェル」にのめり込んでいたこともあって、自分が刑事になったつもりで刑事ドラマのシナリオを書いて、当時のいじめっ子を犯人、もしくは殺人事件の被害者に仕立てて鬱憤晴らしをしていました。
でも今は同じような刑事ドラマの台本を書けと言われても、「はぐれ刑事純情派」「こちら本池上署」みたいな警察官の心理描写の極端に多いドラマしか出来ないかもしれません。(^^;)
また思い出し怒りなどでフラッシュバックを感じたときや、抑鬱状態がエスカレートしたときは毎回楽しいことを考えて気分を紛らわします。(この中には[#3103]でもコメントしたフェティシズムもありますが、基本的に私にとっては「フェティシズム<笑顔」です)
> 母子の愛情の件については、私も母親に愛情を感じません。
>私のウチの場合、多分、(父も含めて)お互いそんな感じの親子です。
>
> もしかしたら、自閉圏の人々は、愛情の摂食障害に陥り易いのかもしれません。
それは私も感じています。
樹村さんが[#12361]の後半でもコメントされていますが、世間一般でいうところの「愛情」そのものに不快感を感じるケースはあって当然かもしれません。
ただ愛情というものはやはり定義があいまいなものなので、人それぞれに受け入れやすいパターンがあろうかと感じています。
> 母親(あるいは父親)は子のために良かれと思い、「愛」を用意して喰え、喰えと迫るのですが、子供の方の受容の体制とズレていて、無理に「愛」を口に押し込まれるので、吐き出してしまうような、そんな愛情を育む基底となる母子関係においてさえ、愛で結びつきにくく、愛を習い損ねたまま、知能の方は高くなり、成長してしまうなんてことなのかな、と思いました。
>
> Chiquititaさんのみならず、自閉圏の人々の心の底には、強い関係欲求(甘え)が潜んでいることを、小林隆児氏が指摘しています。
そうですね。以前に[#10084]でぼやいていることとの関連もあるでしょう。
このときは同じ障害者でも男性よりも女性のほうが恋愛にとって障害がハンデになりにくいように感じてぼやいたのが正解でしたが…
> 愛情飢餓、愛情鈍麻などの愛着形成の問題は、
> 私自身を含め、自閉圏に共通の、生涯の課題なのかと思っています。
> やはり、長いスパンでの対応が必要なのでしょう。
4年前、私が「館」にデビューした当時(当時はHNがChiquititaではなかった)、同時に参加していたADHDのサイトで幼児虐待の被害者の参加が多いことに気がつき、「虐待と過保護は紙一重」という認識が生まれました。
人間的に成長するためには親離れが必要だということを痛感しましたが、心の準備に2年を要しました。でも親元で暮らした41年よりも、親離れをした1年8ヶ月のほうがはるかに有意義だと感じています。
繰り返しになりますが、各人が考える「愛情」がそれぞれ微妙に違うように、受け取り方も微妙に違います。ミスマッチが起きるのはある程度避けられないことでしょう。
その点では発達障害者にとっては愛情のやり取りに対して方向性の修正も困難を極めるでしょう。
でも私なりに出来るだけ多くの愛情のパターンを受け入れられるようにこれからも自分の心に磨きをかけて行きたいと考えています。(^^)
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