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>それと「普通児として卒業証書が出ると思いますので、卒業後の選択肢も増えるでしょう。」とありましたが、やはりそのような事になってしまうのでしょうか?
学校によって違うのかもしれませんが、自分の卒業証書にはクラス名が書かれているのでそう思いました。
実は私も最近ASと診断を受けたのですが、今まで社会に出てから10年程はそんなことも知らずに普通の人達と同じように会社に勤め、変わり者だとは思われていたみたいですが周囲の人達以上の結果を残すこともできました。
つい最近までASの観念など知られていなかったので私も普通学級に通い、振り返れば確かに普通じゃない体験ばかりでしたが、なんとかやってこれました。
うつなどの二次障害も抱えてしまったのですが、それでも普通学級でやってこれてよかったと思っています。
つまり普通学級に居れば二次障害のリスクもありますが、その他のチャンスもあるわけです。大人になってから友達を作るのは普通の人でも難しいですが、子供の頃ならASとか関係なく友達を作れるチャンスもありますし、他の人と同じ環境でやってこれたという自信も感じられる可能性があります。
私がもし養護学級で育ってきたらと考えたら、卒業してから社会に出ても社会が障害者雇用枠として用意している職場などは普通の人から見て「この程度ならできるだろう」と見下して勝手に解釈されたような仕事ばかりに見えますし、「この人だからできる、この人じゃないとできない」と言われるような仕事に就けるとは思えません。社会と関わることにそういう生きがいを見出せず、そんな奴隷のように見下された扱いで働かさせられたとしても長続きはしないと思います。
私の経験ですが、閉鎖的な日本の社会構造では生きにくさを感じることが多かったですが、海外に住んで働いていた時には他の日本人以上に環境に適応して仕事ができていましたし、現地の人達からも「おまえみたいな日本人は初めてだよ」と好意的に受け入れられていました。
自分に自信さえ持てれば、そうやって海外に出て自分の生きやすい環境を模索していく道だって開けると思うのです。
過去の人なので診断はできないのでしょうが、アインシュタインやエジソン、ダ・ヴィンチだって現代ならASだったかも知れないんですよ。彼らにとって学校の教育なんか役に立たなかったかもしれないですけど、そんなもの無くたって常人には真似のできない偉業を成し遂げています。日本の社会システムではそういう才能のある人達を潰してしまうかもしれないですが、今や生きる道は世界に広がっているんです。
と、こんなことを考えていただくのも大切ではないかと思いました。
失礼します。
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