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御無沙汰してます。コメントありがとうございます。
▼たもっちさん:
> 私の場合は、積極性の高機能自閉症であるが故に、私自身が「表に出て頑張ろう。障害者の偏見や差別に負けてたまるか。人間社会は平等でなければ駄目なんや。」との気合で何とか世を渡ってきました。そのエネルギーが私のスキルアップの源でもありましたし、その陰では多くの周辺の人達とのトラブルの種でもありました。
そうですね。
私も障害者の烙印を押されたままで一生泣き寝入りするのがたまらなくいやだったので、可能な努力は続けてきました。
LDのために困難を感じても、ソーシャルスキルを身につけるのに必死でした。
ソーシャルスキルが身に付かないで焦っているとき、生活苦の問題が非常に切迫していました。このために、ソーシャルスキルに消極的な人たちとWebで大ゲンカしたこともありました。
幸い、このサイトの参加者の皆さんはソーシャルスキルに積極的な人が多いので、私も元気になれます。
>学校時代等で学んできた知識や技術がそれらによって不意にされてしまい、自分自身に対する尊厳や評価が下がってしまい、その反動で周囲の人達とのトラブルや異常行動等によって自暴自棄を起こした事が多々ありました。
私も以前の職場で上司に発達障害と身体障害を侮辱され、逆切れを起こしたこともありました。障害者ハラスメントのあった職場なので、ついに堪忍袋の緒が切れました。(ちなみにその会社、上司の意向で自分の気に入らない部下は遠隔地に出張させていたが、交通不便な場所もあり、同僚たちには「島流し」として恐れられていた)
> 私もその様な状態に遭遇した事が多々ありましたので、Chiquititaさんの気持ちは良く分かります。しかし、それに対して過剰卑屈になったり自暴自棄になったりする事は止めた方が良いと思います。
> これからはその事を逆手に取って自己発見をした上で、自分自身にとっての明るい未来に向かって前進して行く事が最善だと思います。決して焦ったり・奢ったり・いじけたり・悔やんだり・負けたりしてはいけません。
そうなんですよ。いじめ問題の解決に加害者側への働きかけを呼びかけているのはその一環です。
いじめに対して復讐という短絡的な考えなら、私の場合は加害者の人数が天文学的な数字なので、映画「ランボー」の主人公みたいにクーデターを起こすようなものですが、そんなことをしてもPTSDが治るはずはありません。
だから自分が苦しんだことは自分の代で最後になってほしい、それが今の願いです。
ドアをガムテープで目張りした軽乗用車の中で練炭を焚いて集団自殺というのはもちろんですが、そのパートナーを探す作業すらバカらしく感じています。そんなことをするより、生活苦を生き延びる知恵を絞るほうがよほどマシだと思うし、よほど有意義です。
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