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▼ぽんさんさん:
はじめまして!
>やはり周囲の理解を求めるのは難しく、親は親で何とかしていくしかないのが今の世の中なのでしょうか・・・。
ASであるかないかに関係なく、各家庭の子育ての応援団が保育施設です。主役はそのご家庭であり、そこで生活するお子さんと保護者だと思います。「親は親でなんとかしていく・・」というのは悲しいですし、無理です。そんな思いにさせてしまうようなやりとりしかできなかったということを、同じ保育施設としてとても残念でなりません。
以前、私自身が経験したお子さん(違う書き込みで書かせて頂いたのここでは詳しくは書きませんが)は、お母さんに対する固執が強く、登園時にしがみついて離れないという日が続いたことがありました。お母さんは、いらいらした顔で、無理矢理、突き飛ばすように離して行く毎日でした。「お母さんと一緒にいたいようなので幼稚園でゆっくり一緒にすごしてあげてください。」というアプローチにも耳を貸してくれません。その後、面談した時にお母さん自身もお子さんを持て余していて、「幼稚園でのことまで、子どもをずっとみていなければならないのがつらい。自分の言うことも聞かないし、どうしたらいいかわからない」と、おこさんと一緒にいることに強いストレスを感じているという悩みを打ち明けてくださいました。園として、「お子さんを預かっている間はこちらでお子さんのことを責任もってお預かりするので任せてください。そのかわりおうちでのことはご家族でお願いしますね。」という言葉でお話しし、朝、ちょっと無理矢理引き離してでも、お預かりするようにしたことがありました。ぽんさんの場合とはかなり違うケースだとは思いますが。園がどういう思いでそういうことを言ったのか、聞いてみてもいいかもしれません。
「だめー」という否定する言葉や視線に、カチッと怒りのスイッチがはいるので、保育者側が感情をすこしクールダウンさせて、互いに距離をおきながら、それでも君を守るよ!という気持ちを発信することぐらいしかできなかったのですが、彼の場合は、この接し方がとても効果的でした。ひとりひとりが心地よいと感じられる接し方が違うので、ASだから特別ということはなにもないのではないかと思わされます。「この子はどんな言葉をかけられるとうれしいのだろう?」「私が考えていることをどうやって伝えれば理解してもらえるだろう?」子どもとむかいあう大人が、自分の思いではなく子どもの思いや感情の動きに寄り添うだけでいいのですが、すぐ、自分の見栄やプライドで寄り添ったつもりの表面的な接し方になってしまう私だということをつきつけられました。ASをはじめ目に見える形の障碍がないと言われる子どもたちは、そんな大人の気持ちを先回りして、うまく迎合?してくれますが、ASの方は、まっすぐで鏡のようにストレートに「いやだ!」と返してくれるわけですから、自分がかけている言葉を具体的に検証できるので、保育者としての自分のあり方を深く深く学ばせていただきました。大切なのは、大人の言うとおりにする子どもをつくるのではなく、ひとり一人のお子さんがしっかり自分を生きていくことのために、果たすべき自分(親や保育者、教師)の役割をきちんと果たす努力をすることなのではないかと思わされます。
>何だか愚痴のような文章になってしまい申し訳ありません。
>この思いをどなたかに聞いて頂きたくて、こんな文面になってしまいました。
>
>でも私は長男がとても可愛いですし、彼の良い面をもっと色々な人に知ってもらいたいし、理解して欲しいと思っているだけなのです。
>現実は本当に厳しいですが、私は私なりに頑張っていこうと思っています。
こうした愚痴をはじめ、本当の気持ちを直接、吐露できる場所づくりこそが大切なことだと思います。頑張ることが追いつめられることにならないようにお祈りしています。同時にこうしてぽんさんとお話しさせていただけたこの掲示板に感謝です。管理人さん、秋桜さんありがとうございます。
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