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彩花さん、こんにちは。レスありがとうございます。
▼彩花さん:
>>>「診断を受けてホッとする」のは、「障害を免罪符にする」ことと別物ですよね?
>>この言葉、実はとても深くずっしりと受け止めて考えてしまいました。
>>何故別物ですよね?と訊かれたのかしら、私はそう思われているのかしら?私はもしかしたら免罪符と思っているのか?と。自分を深く責めました。
>あー、そのようにとられたのですか。
>私の書き方が悪かったですね。負荷疑問ですよ。
>○ 「私は『診断を受けてホッとする』ことと『障害を免罪符にする』ことは別物だと思います。るーるーさんもそう思われませんか?
>× 「診断を受けて障害を免罪符にするおつもり? 違いますよね?」
なるほど!そういう意味だったんですね。聞いておいて良かった。
ありがとうございます。
自分を責めましたーなんて言ってしまいすみませんでした。
私は免罪符にする気はありません。
ただ、自分のアイデンティティーに深く関わることなので、自分を知りたい。
アスペルガーの可能性を知って本当にホッとしたので…
>>長年自分がまだわからずただ悩んでいた頃、人の言葉を聞いては「私もそうかもしれない…」とネガティブにとる癖がついたようなので、そのせいかもしれませんが。
>そうなのかもしれないですね。
>私もそうだったから。
>おかげでうつ状態で入院していたとき、主治医ともめたことがあります。
そうなんですか…。変われるものなんでしょうか?この癖は…
>だから、るーるーさんの最初の書き込みを読んだとき、
>>>時々「あなたは診断に何を求めるの?」というようなことを訊かれたり読んだりすると、何故そんなことを訊くんだろう?と不安になります。
>正直なところ、「気にしなくてもいいのに。過度に反応しているんじゃないの?」と感じました。
>状況が分からないけれど、その相手もネガティブな意味で言っているとは限らないですから。
その正直な感想は正しい(というのも変ですが)と思いますよ。
はっきり言って自分でも過度に反応し過ぎだと思っています。
こうしておけば、意味のわからないところから突然攻撃されても自分を守れるような気がするのかもしれません。
それは錯覚なんですけどね。
あとはやっぱり、自分が人とどこが違うのかわからなかった頃の「正解探し」の癖によるネガティブさなんだと思います。
また、自分を○か×でしかとらえられない・とらえにくいのではないかと考えています。
それでは何かある度に自我が壊れてしまうのですが(今みたいに)。
>仮にネガティブな意味が含まれていたとしても、相手はるーるーさんの人生に責任を持ってくれるわけではありません。
>るーるーさんが自分の判断に基づいて行動すればいいと思います。
>発達障害に理解のある人ばかりではないのだから、思い悩んだり、エネルギーを消耗する必要はないですよ。
本当、そうなんですよね。
もう人の言葉尻に振り回されるのは嫌なんですが…
>>彩花さんは「診断を受け止めてホッとする」と「免罪符にする」の違いは、具体的にはどんなことだと考えてらっしゃいますか?
>「診断を受け止めてホッとする」のは、ダメな部分も含めて自分なんだと受け止めることです。
>自分の間違いを認められるからこそ、改めよう、自分を磨こうという気持ちが生まれます。
>これは障害の有無にかかわらず、必要なことだと思っています。
>「免罪符にする」のは、障害を言い訳にし、自分を甘やかすこと。
>自分の間違いを認められないから、他者に責任を転嫁します。
>過保護が形を変えた虐待であるのと同じで、自分を甘やかすことは、自分を傷つけることだと思います。
>ありのままの自分を受け入れられないのですから。
>漠然としているけれど、お分かりいただけたでしょうか。
なんとなくですが、障害の有無に関わらずというのは確かにそうですよね。
自分を甘やかすことは自分を傷つけること…というのも本当にそう思います。
かといって自分を責めるのも違うんですよね…
この辺り、言葉の概念が難しいです。(私には)
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