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▼ねずみさん,
はじめまして!最近この館に出会い、当事者の方をはじめ、そのご家族のみなさんの書き込みを読ませていただきながら、いろいろ学ばせていただいています。
>ほとほと困り果てております。
ねずみさんは、少し愚痴をこぼしたかったんですよね。私自身も経験がありますが、活字になってしまうと、本当に自分が言いたかったこととは違う別の部分が誰かの心にヒットしてしまうことがあるように思いました。結果的に私の文章が人を傷つけてしまうことになるのです。物事には裏と表があるように、自分が間違っていないことを主張しようとすると、相手の間違いを責めることになってしまい、どんどんエスカレートしてしまっていくように感じられます。
この館のASの基礎知識というところで、管理人さんが辻井正次先生の「高機能広汎性発達障害(高機能自閉症・アスペルガー症候群)への心理療法的接近からーー 」の文章をアップしてくださっていました。そこにはASであろうと思われる子どもとの関わり方について、私が経験から学んだことが、しっかり書かれていました。とても共感を覚えると同時にこのやり方を、彼が通う小学校に自信を持ってお知らせしようと思わされました。彼の唯一の逃げ場所であるファンタジーの世界と、他の子ども達の橋渡しをちょっとするだけで、長い時間ではないけれど、関わり合って遊ぶことも可能になっていくのです。すぐにパニックをおこし「あっちにいけー」「くさいから近づくなー」とあるったけの力で物を投げつけたり、殴りかかっていた彼が、少しずつ変化をみせ、助けを求めるような視線を私に投げかけるようになりました。けっして関わりたくないのではなく、関わり方がわからなくて困っていたのです。てさぐりではあったけれど、彼と確かにつながりあえたというかすかな手応えを感じた時の深い喜びは、保育者としての自分を大きく深く見なおすきっかけとなったのです。
簡単にいうと、指示する者として子どもの前に立たないことです。同じ時間を共に生きており、その空間を共有している一人に人間として、目の前の子どものかたわらに存在していることを大事にしようと思うようになりました。教育者(指導する尊敬すべき先生)という仮面をぬぎ、いらだったり、失敗したり、多くを望んでしまったり、とてもおっちょこちょいだったりと欠点だらけのちっぽけな一人の人間である私をさらしながら、子どもと一緒に考えていこう、一緒に学んでいこうというスタンスで子どもとむかいあうと、とても気持ちが楽になりました。子どもが失敗しないように導き、しなければならないことを提示してやらせるという指導ではなく、失敗してころんだ時にどうやっておきあがればいいかを一緒にころんで考えればいいのですから。なによりも子どもから警戒心が消え、安心して自分を表現するようになりました。自分なりに自分の課題を設定して頑張る姿にも出会えました。「こうであってほしい」という願いはきちんと伝えるけれど、けっして「こうでなければならない」と無理強いしはしない。これは、全ての人との関係を作るうえで大切なことだと気付かされています。
ねずみさんもお子さんの将来のことが心配で心配でしかたなかったんですね。一人だけで抱え込まないでください。おこさんの将来はお子さん自身のものですから、ちょっと肩の力を抜いて、深呼吸してみませんか??お母さん以外にお子さんのことをきちんと受け止めてくれる誰かがいるといいですね。もし、孤立無援だとしたら、この館でいっぱい愚痴ってください!!そして、また顔をあげて新しい朝を迎えましょう。とてもえらそうなことを書いてしまって、誰かの心をいやな思いにさせていたらごめんなさい。(遠慮なく教えて下さい)
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