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▼チェリーさん:
>そうです。やりたいことが優先です。
>でも、それは、私もそうですが、誰もが皆程度の差こそあれ、あることで、それを我慢して面倒なこともやるから、生活が回っていくのに…と思ってしまいます。
「好きでやってることをやりたくないことのためにやめなければならない」というストレスがとても大きいのではないでしょうか。
また、どこにしまうものかわかっていても、「面倒だからその辺に置いておけばいいか」となってしまうのではないでしょうか。
私の場合は、そんな感じです。
一緒に片付けよう作戦はダメでしたか。
ウチは大抵「片付けてから○○しようね」も付け加えてます。
(片付けなきゃ○○しないよという暗黙のメッセージも込められてます)
片付けに関しては、私自身ADHDなのでいい加減‥お母さんが片付けようと言ったときぐらいは片付けよう、ということにしていますが、「片付けよう」と声をかけるのは頻度としては週に2・3回程度です。
そのときは、徹底して「やりたくない、めんどくさい」は認めないことにしてます。
今日は「お母さんだってやりたくないよ〜お母さんがやりたくないって言ってやらなかったら掃除機かけられないし、寝てる間に体の上をゴ○ブリが這っちゃうかもよ〜」と冗談っぽくジェスチャーを交えて言ったら、渋々片付けてました。
脅すような言い方はよくないと思うのですが、ときどきしてしまいます。
>困り感というのも、だんだん出てくるものでしょうか?
私や息子のようなタイプの者の困り感とは、「大事なものがすぐにみつからないこと」と「片付けそのもの」です。
「片付けること」は困り感と違うのでは?と思われるかもしれませんが、息子にとっては「片付けること」が面倒で嫌いなのでそのこと自体が困ることなんです。
ウチの息子は、大事なものはかなり決まったところにおけるようになってきました。
片付けも声をかければできる(半強制的、半パニックになることもあり)ので、まあよし、としてます。
>困るという事がわかってくれればと思います。忘れ物をしても、借りたりなんとかなるので、困ってるどころか、全然平気で、脱力します。
忘れ物は意外に困らないですよ。
なんとかする方法を見つけてしまうのです。
娘さんもそうですが「忘れたけどまあいいか」と思ってしまうんですよね。
自分に都合のいい思考回路を身に付けてしまい、でも、学校は勉強ができて人に迷惑をかけなければいいところなので、それでやっていけるんです。
私はそんな感じでした。
ところが社会に出てからはそれでは許されないのです。
困るのは社会に出てからです。
完全に困り感がなくなることはないでしょうが、適職につくことが有効と思います。
息子を当人に向いた職業に就けるような方向性に導いていくことも親の使命の一つのように考えています。
実はウチの息子も診断は下りてません。
今予約待ちの状況ですが、診察を受けても「○○傾向がある」ぐらいで、正式な診断名は下りないかも?とも思っています。
今すぐに診てもらう必要は私も感じてません。
でも、発達障害児は将来的に二次障害に陥りやすい傾向があること、二次障害が起きたときに「病院で診てもらおう」と説得しても拒否されるケースが少なくないことから、今のうちから定期的に通いたいと思っています。
また、息子には無理と思われること(例えば車の運転など)や、適職を選ぶ必要性があることを説明するためには、本人に告知することが必要になってくると思います。
「普通の子」と思って育てると、他の人が自然に出来ることもすごくがんばらないとできず、そんな自分にコンプレックスを抱いてしまうかもしれません。
「できないのは自分の特性、人が当たり前にできることでもできないのは、しかたないことなんだ」と納得させてあげることは悪いことではないと考えています。
>できない事全てに共通している事は、繰り返しになりますが、「聞いた事や、やらなければならないことを忘れる」という事なんです。この「忘れる」という感覚が理解できれば、私ももっと変われるのかもしれません。
私は理解できる気がします。
娘さん、ADHDに近い位置にいるような気がします。
チェリーさんにはなかなか理解できないでしょうし、でも、それはしかたないことだと思うのです。
私は、片付けや忘れ物などの件では比較的寛容ですが、そうじゃないときも多いです。
パニックになったときでも片付けが原因なら割と冷静に対処できますが、自分の理解できないことが原因だと、ときにキレてしまうこともあります。
疲れてるときは、よけいにひどくなります。
理解できなくても上手に対処できるようになるといいのですけど、なかなかできないですよね。
子どもにも問題あるのだから、親がこんな状況になるのもときどきならまあしょうがないかととりあえず割切ってる、というか、割切りたいと思っています。
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