|
エオリアンさん
> 私自身、ひどく狼狽していました。やっと私の原因のしっぽを掴んだのに。これは、長年模索してきた私のついに得た貴重な手がかりで、とても、非常に喜ぶべき事の筈で、その筈なのに、なんか涙出たし、ものすごい私という塊をえぐられたようになって、それはじわじわと私の気付かない心のどこか生きてゆく力がある一部分を引きちぎられたみたいになって、すごく痛くて痛くて、私は理由もなく悲しくて、仰向けにしばらく青くもない空を見るように、とても空虚に、寝込んでしまったのです
あふれてくるような心の叫びの前に、しばらく立ちつくすような思いで、パソコンの前にぼんやり座っていました。
しかし、今までいろんな所に、私の、この、いつでも、いつの間にか世間と決して交わらぬところにいるようなような違和感、疎外感、孤絶など、私に湧くいかなる感情の根拠の片鱗をアスペルガーに見たのです。
> 私はいつも茶番じみたお芝居をしているみたいで、すごいバカみたいとか、自分で自らを嫌いになるには十分なことを、つまり、私の意に反する事ばかりして生きていました。周りに一生懸命あわせようと、(実際はとても滑稽なものに映っていたのだと思います。)そうすることしか私はできませんでした。
> 人前では、もう弱いの見せたくないので(というか、私が暴かれるのを非常に恐れているのです。わたしの欠落を、欠落した私をひっぱり出されるようなことは、ほぼ絶対無理。)いつでも大丈夫、何も気にしてません、みたいな素振りしかできんのです。
> 私の鬱は助長されました。と思います。
今まで、なにもないかのように平気にふるまいながら、ぬかりなくやりおおせていたと思っていたことが、実は他の人から滑稽に見えていた。と、自分を冷静に見えてしまうのですね。
でも、このサイトでは欠落した自分を誰も無理矢理引っ張り出すことはありません。今まで整理できなかった思いや言えないでしまっていた傷ついた体験や、自分中に見つけたASの片鱗に恐れおののいている正直な気持ちなど、まず、出してみる。活字になった自分の気持ちを外から眺めてみる・・・、そしてやっぱり自分で必要だと思ったら心療内科を訪ねることにすればいいと思います。
>
>私の方法で生きていたいわけですから。非常にわがままに聞こえるかもしれないけれど、そうなのです。
これがエオリアンさんの本当の素直な気持ちなんですね。
> とは言っても、なんとか働いております。まぁ、正直、楽しいと感じるときも、勿論あるのですが、
> さほど大きくないレストランで今月社員の人が辞めるので、非常に手薄になり、その辞める彼のかわりの仕事を、店長は私に引き継がせてやらせようと、とても親身に非常にわかりやすくかみ砕いて子供にもわかるように教えてくれるのです。
> なんて言ったらよいのかわかりません。とっても心苦しいです。
責任のある仕事を任されることに対する心配も大きいのですね。いろいろ職場で怒られることがある・・ということですから、やはり、自分で今以上のことが無理だと思ったら、そのように伝える(自分ができることとできないこと)ことも大事かもしれません。店長さんとの関係はどうですか?
子どもとでかけたレストランで出会ったウェーターさんを思い出しました。彼はちょっと固い笑顔でメニューと水を持ってきてくれました。その動作がとても、機械的な感じがしました。3人でそれぞれに違う料理を注文したのですが、その間彼と視線が合うことがなく、反復しながら手に持った小さな機械(なんていうものか名前がわかりません)に打ち込む際、私のオーダーしたものを「ふたつ」と言って打ち込んだようなきがしたので、最後に「それぞれ一つずつでお願いします」と声をかけ、「はい」というやりとりがあったのですが、やっぱり私の料理が2つ運ばれてきてしまったのです。彼とは別の方が料理をもってきてくれたので「私もまぎらわしい言い方をしてしまったかもしれません。ごめんなさい。」とあやまった私に、息子が小さな声で「あの人変だよ。なんだか動き方もぎくしゃくしてるし。3人できてるんだから、ひとつずつに決まってるじゃないか。」と中学生らしいつっこみ・・。私は息子に「彼はきっと、視線を合わせて人と関わることや、状況を読むということが苦手なんだよ。母さんもきちんと確認しなかったし・・。」と説明し、高機能広汎性発達障碍の説明をしました。「彼がその障碍をもっているということではないよ!でも君がすこし変だって感じる彼がレストランという場所でその職場のひとたちとなんとか関係をつくりながら仕事をしているっていうことは、すごいことだと思う」と付け加えて・・。料理をおいしく食べていると、彼が「オーダーを間違えてすみませんでした」とあやまりにきてくれました。
懸命にフロアーを回って仕事していたあの時の彼がなんだか、エオリアンさんに重なってしまいました。我が家の子どもたちも、この障碍が具体的にどんなものかがわかりません。でも、こうして関わりあっていくことで、リズムの違う人たちを自然にリズムが違うのねー♪くらいに受け止めていく人が一人ずつ増えていってほしいと思います。
>私の駄目な根拠を、ASとして公表すればよいのでしょうか。
ASだから駄目なのではないと思います。誰にだって失敗することはあるのですから。だから、できればやめないで続けてくださるように祈っています。出来ないこと、苦手なことを具体的に相談にのってくれたり、同僚との関係をつないでくれたりする上司を求めるのはむずかしいのでしょうね・・。
|
|