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▼Chiquititaさん:
こんにちは。
>今まで43年間、何かと我慢を強いられてきた人生ですが、我慢してプラスになったものがあまりにも少ないように感じています。
我慢することを、得か?損か?という風に考えた事がなかったので、自分なりに分析してみました。答えは、得とか損という一言では表せないというところでしょうか。プラスかマイナスかという方が少し好い言い方かもしれませんね。
「我慢」を「耐える」という言葉に置き換えると、自分のためにすることと他人のためにすることがあると思います。
自分のためにする我慢:
これは私の経験です。数年前、命に関わる病気にかかったことがありますが、そのために、かなり苦痛の伴う副作用のきつい治療をしなければなりませんでした。それでも、生きるという目標のために我慢して、何とか終了しました。
結果、私は今生きています。これは、私にとって我慢した事がプラスとなった事の一例です。
他人のためにする我慢:
こちらの掲示板で色々勉強させてもらい、最近ペアレント・トレーニングの本を読み、子供への接し方について、目に鱗の思いで、今自分の子供への言葉がけを変えようと努力しています。
子供が不適切な行動をしても、怒りたいのを我慢し、罵倒しない、怒りをぶつけない。その代わりに、良い点に注目し、ほめる。
これは、明らかに子供にとってプラスであり、ひいては私自身のどなってしまう自己嫌悪にもプラスでしょう。
その他、人間関係を円滑にするためには(たとえ夫婦間においても)、言いたい事をぐっと我慢するという事が必要な場面は多々あると思います。思わず口を突いて出た言葉で人を傷つけるよりは、ぐっと我慢して言葉を飲み込む方がプラスなことが多いものです。
つまり、得だから我慢をするという訳ではなく、結果、自分のため、又は他の人のためになるということなんだと思います。
しかし、おそらく、Chiquititaさんがおっしゃっている、「我慢」とは、他人の自分に対する不当な言動に対する「我慢」ということではないでしょうか?それは、マイナスに働く事の方が多いのではないかと思います。
不当な事に対しては人間として、当然怒りが出ます。しかし、その怒りを抑えて、我慢することで怒りが内に貯まります。逆に、我慢せず怒りが外に現れると、他の方がおっしゃっているように、暴力という形となります。
そうではなくて、内側に向いてしまった場合、自分を責め、鬱という形となって精神面で病んでしまう結果となります。
過去に人に傷つけられ、本当につらい事があった人がさらに辛い目に合うという悲しい現実が多くあります。周りにもそういう人たちがいます。特に身内からの傷ほど大きいものです。
しかし、過去を変える事はできませんし、その辛かった出来事にこだわっている限りはトンネルの出口になかなか近づけないと思います。
簡単な事ではありませんが、その当事者を、赦し(ゆるし)てあげてください。赦すことは、不当な行いをした人を正当化する(無罪)という意味ではありません。でも、自分の手に固く握っているその出来事(うらむ気持ち)を離す事によって、心が解放されるはずです。
ひどい事をした人のために赦すのではなくて、自分のために赦すのです。
それから、赦すのは、感情ではなく、決心です。その人を赦したいと思うから赦せるわけではなく、まず、感情は伴わなくても、赦すという決心をすることです。
(愛するということが、ただ好きという感情でなく、この人のために命を捨てられるという決心であるのと似ているかもしれません。)
もし、今もこのような苦しい思いを我慢していると感じておられるのでしたら、それは、プラスではなくマイナスなのですから、もう我慢する必要はありません。
私が、Chiquititaさんのお母さんなら、抱きしめてこんな風に言ってあげたいです。
「あなたは何も悪くなかったのに、随分ひどい事をされてきたね。本当に辛かったよね。今まで本当によく我慢してえらかったね。だけど、もう、我慢しなくてもいいよ。あなたは、この世にたった一人しかいない、私の愛する大切な子供なのだから。いつも一緒にいるよ。」
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