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昨年、ある出来事から、人と関わりあう事が、精神的にとても難しくなってしまいました。
アスペの子供の関係で、知識のある教育関係者とも関わりましたが、信用できる人だと思い、自分の抱えている困り感を打ち明けていましたが、自閉症スペクトラムの子供に理解はあっても、成人の当事者には、全くなんの配慮もありませんでした。
また、そのある出来事に絡んで、ある集団に関わる人たち全てに、警戒心を抱く様になってしまいました。
正直、どの人が、理解を示してくれる人で、どの人が理解を示さない人なのかがわからない以上、口をきくことも出来なくなっています。
大人としての態度を選ぶのならば、挨拶ぐらいはするべきでしょうが、そのある出来事という事自体が、子供にも私にも、激しいフラッシュバックを引き起こすような出来事とトラウマを残したので、むしろ・・・こんな書き方は良くないかもしれないのですが、憎しみさえも残しています。
積極奇異型のアスペである我が子は、言葉づかいも悪いですし、衝動性もあるので、パニックが起これば、行動がとても奇異で、派手なので、見る人から見れば、眉をひそめられます。
でも、その根幹には、他のおとなしい現れの自閉症のお子さんと同じ、見通しの立たなさや音過敏、または誰かの喋った言葉に対して反応するという、困り感があるのですが、
障害があるからと言って、躾をしないで言い訳が無いというようなことを言われたり、その現れ自体が問題視されるとしたら、私はどうしたらいいのか、途方にくれます。
決して、しつけていない訳ではないし、現れ自体にも予防の為の手立てを打っているのですが、理解には及ばないようです。
身近に、同じ様な子供持つ人がいれば、少し心軽くなるのでしょうし、ネットの世界では一緒に頑張ろうと言ってくださる方もいるのですが、いざ、実生活で、そういう場面に直面すると、本当に辛い状態が続いています。
辛い気持ちを引き出す原因とする中に、その出来事のフラッシュバックもありますが、その他に、私自身の思考も原因なのだろうかと、思い悩む事もあります。
私は、年齢で人を判断する事がありません。
ですから、年上でも尊敬できない人はいますし、年下でも尊敬できる人もいます。
そういった考えから、年齢が一緒だからとか、年下・年上と言うような括り方で徒党の組む人に時々嫌悪感を感じてしまいます。
そして、『普通』という言葉も、あまり好きではありません。
普通なんて、具体的にどんなものなのか、わからないからです。
平均値ならわかるのです。
ですから、普通の子供に育てたいと言う様な表現をする人とは、話すのは難しいと敬遠してしまいます。
その他にも、聴覚過敏のせいか、いろいろな音のする場所で、誰かと話をする時に、ノイズも全て拾ってしまって、聞き取れない事が多く、聞こえた箇所だけを拾って、分析、推定して話をしてしまう時があるので、話がちぐはぐになってしまうことも有ります。
人と関われない私が、やはり悪いのだろうか・・・
フラッシュバックも人には見えないですから、その辛さは伝えることも出来ません。
人と関わりあうことをどうしたらいいのか・・・悩んでいます。
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