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▼りりさんへ
>そうでしたか、その辺に私はまだ迷いがあるんです。
>息子が定型発達じゃないと気がついて、対処法がわかるようになり、楽になった面が大きいんです。
>何か問題を起こしても「何で他の子ができることがこの子はできないのだろう?」と思うことは少なくなっていきました。
>そのうち、いつのまにか、定型と非定型という括りで子どもたちを分けている自分に気がつきました。
>「???」と思うような行動を取る子に対しても「あの子は定型発達じゃなさそうだから」と思うと寛容な気持ちになれるようになっていました。
>私にとって、定型発達という括りで子どもたちを見ることはあまりマイナスではないような気がしていました。
>個性と特性と‥分けることがなかなか私には難しいです。
そうですよね。個性と特性を分けるのは難しいですし、息子の主治医の言葉を借りるのなら、発達障害の要素を持った定型発達者が多数いることが世の中のだという事です。
つまり、完全なる定型発達者はいないという事です。
分けるという事は、とても気持ち的に楽になることなのかも知れません。
でも、生活していく上で困る(手助けが必要)子と、なんとなく自分で出来てしまう子が世の中にはいるんだな〜と、ゆるい視線で見てみると、少し楽になりますよ。
りりさんのどうして自分の子は出来ないのかという葛藤は、障害児のお母さんたちは必ず通る葛藤だと思います。
でも、自分の子を見つめて一つ一つ考えていくうちに、自分の子はその子の速度で成長できればいいのだと思える日が来ると思います。
よその子と・・・というところに気が付いたという事は、ある意味りりさんが、ご自分の心の新しい局面に出会ったという事だと感じます。
>ただ、実は「定型発達の中の好意的な人たち」のお世話になることは少なくない、私たち親子です。
>
>例えば、息子の年少のときに年長さんだった男の子。
>たまたま同じバス停で降りたとき、フラフラとしてる息子を心配してとても自然に「危ないよ」と手を引いてくれました。
>「なんて優しい子なんだろう、ウチの子も年長さんになったらこんなふうになってくれるかしら?」と感動しました。
>現在小3ですが、たまに通院先の病院で会うと今でもウチの子と仲良くしてくれるとても優しいお子さんです。
>その他同年代の子にそのような形でお世話になることは少なくないのですが、みんな定型のお子さんです。
>可愛いなと思うのは非定型のお子さんが多いというのは本音ですが、感心するのは必ずといっていいほど定型のお子さんだったりします。
>‥でも、あまり括ってはいけませんね、私はその傾向が強いので、これから気をつけていこうと思います。
定型発達の人の中の好意的な人・・・に出会うのは、そう容易ではありません。
例え、同じ障害児の保護者同士でも、好意的でない人もいる訳ですし、
教育・療育関係者でもそういう不快な人もいる訳です。
そうやって考えると、どんな所にも好意的な人もいれば、そうでない人もいる。
たまたま、今まで出会ってこなかっただけかもしれません。
もしかしたら、これから出会うかもしれません。
下手な鉄砲、数打ちゃ当たる ではありませんが、自分の心を少しだけ広げていると、そういう人に出会えるチャンスもあるかもしれない・・・と思って私は過ごしています。
それは、もしかしたら、お子さんが大きくなってからかもしれませんし、りりさんが、今体験している辛さが、もしかしたら、これから悩む誰かのために役立つ事もあるかもしれません。
かもしれない・・・というフレーズ、本当は私はちょっと苦手ですが、(どうなるかを考え始めると不安要素が多いので)でも、最近そう思う事で少し楽になれることもあるんだと学びました。
>> 年齢が上がって来るにつれ、ずるがしこく感じるという事ですが、
>>それ自体は間違っていないですよ。
>> ただ、そのずるがしこさも知的成長の現れだと思います。
>> 例えば、巧妙な嘘をつくという事もです。
>
>ずるいのが悪いわけではないし、多かれ少なかれ誰でも持っているものですよね。
>私だってずるい面もあるし、非定型の子どもだって、そういう面を持っているんですよね。
>
>なんとなくなんですが、幼稚園〜小学校低学年の頃って、一番生まれ持ったものの差がでやすい時期のかな?と感じています。
>小さい頃はあまり差が目立たないですね、下の子(3才)と同じ年頃の子を見ててもよくわからず、個性として見るしかないという感じです。
>でも、そのほうが自然な視線ですよね。
>また、小学校高学年ぐらいになると今度は環境の違いによる差も目だってくるのかな?と想像しています。
>子どもたちは、年齢が上がるにつれて成長して複雑に変化していくものですね。
>
>> 結局は大人になるまでの間に、その子一人一人がどんな経験をして、どう心を変化させていくかが大切なのだと思います。
>> 子供は、学校と家庭と言う二つの大きな社会しか知らない事が多いので、心の成長を促せるだけの環境と言うのは、もっと年齢が上がって(義務教育を終えてから)からだと、最近つくづく感じます。
>
>私の子どもたちより年長のお子さんを持つkazeさんの言葉は実感があるなあと思います。
>生まれ持ったものの違いもあるけれど、それ以上に環境が大事だと頭ではわかっているつもりでした。
>でも、小1ぐらいだと生まれ持ったものの差が目立ち、そこについつい目が行ってしまってる状態です。
>
>先を見てるつもりで先を見られてなかったなあ、と気づきました。
小学生位までは、どの子も『森の中の木』みたいなものです。
大きな括りでは、どれも同じ木に見えますが、少し時間が経てば、背の高い木もあれば、太い幹を持つ木もある。
一見、細くて頼りなさ気の木も、時が経って切ってみれば使い甲斐のある立派な木なのかもしれません。
集団という森を出るまでは、その木(子供)の真価など誰にもわからないのだと思います。
今を見ていると辛くなる事もあると思います。
一年前の私はそうでした。
ぜひお薦めしたいのですが、先輩お母さんのお話を聞いてみられたいかがでしょうか?
そういう人たちの話し全てが、糧になるかはわかりませんが、育っていけるものだという話が聞けると見通しがついて、楽になりますよ。
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