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▼ウォルフルさん:
>▼Cyperusさん:
はじめまして。
>僕達の生きにくさというものは、今の社会が定型発達者の為に作られた社会であるというただそれだけの事に原因があります。
僕もウォルフルさんに同意します。
>そしてそういった「普通」という人間が寄って集って社会を構築していると考えられるなら当然その社会はその普通という一面性に限って成長してゆけばいいんですからこんな楽チンな事はありません。
多数派の人達にとって楽チンな世の中を作りすぎたからこそ、少数派が苦難を押し付けられてしまうのです。
この本質について議論することなく、一方的に多数派が少数派をサポートするといった構図が出来てしまうと、常に少数派が多数派に合わせなければいけないということになってしまいますが、本当ならば楽チンな多数派の人達のほうが合わせる必要があるのだと思います。
僕達の住んでいるこの地球というのは、数多くの生物がそれぞれ決まったバランスで生息して初めて生態系が成り立ち、上手く働いているのです。
その自然の営みには、人間にとっては無用であったり害になるものも含まれていて多様ですが、それらは皆何かのために必要だから存在するのです。
人間の社会も同じで、そのような多様性を受け入れられるようでなければ必ず崩壊してしまいます。そしてこれは歴史が証明しているのです。
人間は、団結して自分達が正しい、自分達が一番優れているなどと思い上がって自分達に都合のいいように少数派を排除し社会を組み立ててしまうと、暴走してしまうのです。それがファシズム(団結主義)として現れます。
ファシズムという言葉は20世紀になってから使われた言葉ですが、それ以前から同じような社会現象は度々起こり、おそらく人類史始まって以来ずっと続いているのです。
でもその結果は皆さんご存知の通りで、存続した例がありません。
だから、少数派を尊重して社会を形成していく民主主義というものが人類の知恵として受け継がれているのです。
しかし日本では、残念ながら民主主義=多数決という勘違いがまかり通ってしまっています。
民主主義というのは、少数派の意見を多数派が尊重して聞き入れ、その意見を多数派がちゃんと理解したうえで採決が取られるということを前提としています。
そしてその意見の中には、言葉にならない気持ち、声無き者の声も含まれるべきです。
もしその少数派の意見を聞き入れて理解するというプロセスが無ければ、それは即ちファシズム(団結主義)になってしまうのです。
本当はその違いを学校で身にしみて教わらなければならないのですが、それができていないのが日本の教育なのです。
現在この自閉症の問題が勃発している国では、多かれ少なかれファシズム的気運が高まっていると思います。
でもこの機会を生かして、多数派の人達が自分達の問題として捉えることができるようになれば、それは人間社会全体をHAPPYに向かわせることになるのです。
だから10年後、自閉圏の当事者だけでなく全ての人がHAPPYでいられるためには、この社会を少数派の人達も受け入れられる多様性のある社会に作り上げていくという方法しかないのです。
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