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▼ウォルフルさん:
返信ありがとうございます。
結論からいって、ウォルフルさんの考えは僕の考えとほぼ同じですね。
僕やウォルフルさんの言っていることは、万物に共通する宇宙の法則みたいなものですから、本来違うはずはないですけどね。
自閉圏の人は、普通の人よりもこの真理を会得しやすいのだと思っています。
僕は今、このアスペや自閉圏の人達の特性について議論するために、googleのグループ機能を使って行なわれているディスカッションに参加させてもらっています。
http://groups-beta.google.com/
ウォルフルさんとは是非これからも意見を交わさせていただきたいので、以下のアドレスにウォルフルさんのハンドルネームと参加希望と書いたメールを送って、意見交換に参加していただけないでしょうか?
beltline-aspe@googlegroups.com
僕はこのグループのオーナーではないですが、ウォルフルさんのハンドルネームをオーナーに伝えておきます。
または、右上の僕のメールアドレスにご連絡ください。
よろしくお願いします。
>アレルギーは自然界の多様性な摂理や細菌と親しく共生している部族にはほぼ皆無なのですが、環境が一様に整備された先進国に非常に多い。現在の日本でもその学校給食の食品に気を付けないといけない子供はクラスに一人か二人は必ず存在すると言います。花粉症に悩む人はここ最近数十年で急激に増えています。そしてこのアレルギーの原因が、細菌との共存共生が難しくなった現代環境にある、と言われているのです。
僕は子供の頃から花粉症がひどかったのですが、10年ほど前に2年程住んでいた南米でアメーバ赤痢という寄生虫のような細菌に感染したところ、日本に帰国したら花粉症が治ってしまいました。免疫機能が正常に働くようになったみたいです。
この菌を持っていると日本では隔離されてしまうらしいので、もちろん帰国時には駆除しましたが、体内に保有していてもそれほど害は無かったように思います。
>本来は無害なものを害あるものと誤診しみなしてしまうのが、今の現代社会です、これっていかにもファシズム的ですよね。最近メディアでも騒がれているイジメも、同じ学びの仲間なのに、彼等は集団にとって非自己とみなされて排除されます。今の社会は人間の多様性が受け入れられず、皆の居る絨毯(じゅうたん)からほんのちょっとはみだした者が否定され嫌悪され排除されます。キモいだとか、オタクだとか、ムカつくだとか浮いているだとか言われてね。
ファシズムというのは、簡単に言えば全ての人間が同じでないと気がすまない、という気持ちから生まれます。これをもっと掘り下げると、他人が自分より優れていることを受け入れられない、他人が常に自分よりも劣っていて見下されるべき存在で無ければならない、つまり自分以外の存在を敬うことができない、という偏狭で未成熟な精神構造が根底にあるのです。
いじめの問題は、大人の社会にはびこるこのファシズム的な思想が野放しになって、子供達の心に伝染してしまうから起こるのです。本来は、大人が自戒の念を持ってこのファシズム的思想の根絶に取り組んでいれば子供に伝染することも無いのですが、それがされていないので精神的に未成熟な子供達の問題として表面化してしまうのです。
ですからこの問題を改善するには、大人が自分達の問題であることを自覚し、自らの人格を成熟させなければならないのです。
そうすれば、同じ根を持つ自閉症の問題も、自然に解決に向かいます。
>残念な事には、今の社会は余りにも小綺麗に整えられて人間臭がほとんどしない様な状態にされて、いまの子供達は様々な多様性、わけても人間の多様性、人間同士のナマの多様な交流、それに出会う切っ掛けを全く欠いているという非があります。今の子供達は親子関係すら殆ど交流がなく、親は会社であくせく献じし子供と向きやってやれず、子供は子供で昔の様なダイナミックな人間交流に触れる事なくテレビゲームに夢中でその日その日を送っているのです。実に非常に閉鎖的で一面的な人間関係しか築けていないのが今の子供達なのです。結果として外部との多様な性質と直に触れる機会がない。家庭と社会を繋いでいた地域社会は既に無くなっています。
そうですね。本や教科書ばかりに頼った教育、テレビやゲームなどの仮想世界と接することが多くなり、直に人間や自然と接して本質を学べる機会が少なくなったために、本来の自然の多様性を養うことができなくなってしまったのだと思います。
>そこでイジメ(無害なものを、自己の細胞までも非自己として攻撃するアレルギーの様な症状)が問題となったんだと思います。僕は多様性を受け入れられる社会を作るという考え方はもちろん重要なのですが、いち早く解決しなければならないのが、人間の多様性に関するナマの交流です。お年寄りから子供まで地域ぐるみでお付き合いしていた昔の日本の姿にもう一度立ち返る必要が現の日本にはあるのだと思います。現代社会は機械化された社会機構に揉まれて互いに浅はかな人間関係しか持てず、人間は孤立し合い、多様性の中で呼吸が出来なくなったんだと思います。多様性を他にして人間は内部で自壊作用を引き起こすか、さもなくば病んで仕舞うのです。
日本は単一民族で地理的にも島国であり、日本語という独特の言語を用いているために、必然的に異文化との交流が閉ざされてしまい、多様性を見失ってしまうという地政学的リスクが存在します。このリスクを顕在化して打ち消すような努力をしなければ、先に述べたように多様性を失ってファシズム的思想に流されてしまうのです。
第二次世界大戦で日本の同盟国であったドイツも、オーストリアと共にドイツ語というゲルマン語系言語で、他のヨーロッパのラテン語系言語からは言語的に孤立していましたし、北方をアルプス山脈で隔てられた半島に位置するイタリアも地理的、言語的に隔離されていたので、同じような地政学的リスクを抱えています。
ドイツ語圏であるオーストリア人のアスペルガーやカナーが自閉症という特徴を発見したのも、これは別に偶然ではなく、このような言語学的、地政学的リスクによって生み出される当時のファシズム的風潮が、この特性の違いを病気として浮き彫りにしたのです。
だから、この流れを止めなければ本当に歴史は繰り返し、悲惨な結果を招くことになりますよ。
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