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▼フリッツ藤井さん:
こんにちは、Lao Tzuです。
フリッツさんのブログやコメントでは、この掲示板での僕とウォルフルさんとのやり取りを指して、まるで親が悪くて教育に恵まれなかったから精神科に係り、アスペと診断されてしまった可哀相な人達みたいに言われているように取れるので、訂正させてもらいます。
ほぼ同じ文面のコメントをフリッツさんのブログにも投稿させてもらいましたが、掲載を拒否されてしまったようなので、フリッツさん自らこちらでのコメントの機会を僕に与えてくれたことは、願ったり叶ったりです。
誤解の無いように言っておきたいのですが、僕は教育が受けられなかったから(フリッツさんの仰る)理系の世界に居られなかったわけでも、理系の世界に居場所が無くて困っているわけでもありません。
確かに僕は中学も不登校で高校も大学も行っていないので、少年時代にアスペとしての自分に最適な環境で学習できたとはいえないかもしれませんが、独学で自分なりに好きなことを勉強して、自動車メーカーで開発職に就いたり航空宇宙関連機器開発などの最先端分野で職を得ていました。
今まで働いた会社は従業員数万人以上の大企業ばかりで待遇も良かったですし、フリッツさんの言う年収1000万には及びませんが、その当時の20代としては多めの給料を頂いていました。同年代では珍しい外車のスポーツカーも乗り回していましたし、傍から見たら何の不満があるのだろうと思われていたでしょう。(いやみや自慢ではなく、あくまでも対比する為のエピソードとしてお読みください。)
でもそれは、周囲の人があまりにも表面的な価値観ばかりを押し付けてきて、「やってみれば価値が分かる」「やってもいないのに分ったような顔をするな」と言われ続けたから、試しにやってみただけです。
本当は子供の頃から、そんな学歴や社会的地位、仕事上の肩書き、見栄えだけの生活様式、物質的な豊かさばかりを追求して生きていくことには無意味さをずっと感じていました。
僕がうつなどの精神疾患を患ったのは、このような他人から押し付けられた価値観に従って生きなければならないことに窮屈さを感じ、自分を殺して生きてこなければならなかったからです。
だから僕は自分で選んでその理系の世界と縁を切ったのです。今でも以前勤めた会社からお誘いをもらうこともありますが、もう物質的豊かさばかりを追求する理系の世界には戻りたいとは思いません。
僕に価値観を押し付けてきた人達の中に親も含まれることは確かですが、社会全体の価値観に逆らった育て方をするというのもなかなか難しいと思うので、特に不満も抱いていません。
こう考えるようになったのは、[#16901]で僕のお相手をしてくださっているウォルフルさんが仰っているのと同じで、僕も自分の一部分の機能だけを使って生きていくような人生はつまらないと思ったからです。
狭い理系の世界だけに、自分を当て嵌めて生きていかなくてはいけないのが窮屈なのです。
アスペが一つのことに集中してこだわる特徴があるといわれていますが、それは自我から自己の認識へと移り変わっていく個性化の過程が未達であるからというだけであり、一度自己を認識することが出来れば広い世界を見渡すことができるようになるのです。
ですから、もっと広い世界で多様な価値観を持った人と接しながら生きてゆきたいと思っている僕みたいなアスペも、少数かもしれないですが存在するということはご理解ください。
それに、フリッツさんは科学者や研究者として自分の能力を発揮できていれば精神疾患を患うことは無いとのお考えのようですが、僕はそうは思いません。
歴史上の著名な科学者や芸術家などの実生活の話しを聞いても、精神病的気質を示すエピソードは数え切れないほどあります。
ですから精神疾患というのは、その科学者や芸術家の才能と表裏一体の、敏感な感性から生じるものだと思います。
逆に、精神疾患を患わないような鈍感な感性の持ち主は、クリエイティブな発明や発想ができないでしょう。
それから、「機械や電気などの現代の理数系職種は数学力が無いと務まらない」と、数学力を殊更強調されているようですが、それは間違いです。
数学というのは数を扱う学問であることは言うまでもないですが、数と数字は全く別のものです。
数学的思考とは数について考えられる能力を言うのですが、おおまかに言えば数学では数字や記号などの数式で表される数しか扱えません。つまり数字という言語を通して記述できる現象しか扱っていないのです。(もちろん図式化したモデルも数学では扱いますが、現代の数学教育では軽視されています。)
机上の空論の話しならばその数学だけでも問題ないのですが、実際の製品開発や学術研究となると、フリッツさんの言うように理系的に説明できる現象など限られているので、実際の現象を全て数学で把握することなどできないのです。ボルトの締め加減一つをとっても、全てを数学で記述することはできません。
その実際の現象と記述できる数学の間を生めるのは、結局は人間の感覚であり、それが(普通の人もいくらかは持っている)アスペ的才能なのです。
何故なら、言葉で考えてしまう普通の人は数式で記述できる限りのことしか把握できないかもしれませんが、アスペの視覚的優位性というのは、電磁誘導の法則を発見したファラデーが磁力線を見ていたのと同じように、目で見えないものをイメージして見ることができるからです。
僕の友人には技能五輪と呼ばれる競技会で世界大会にまで行った人がいますが、彼がコンピュータ制御の工作機械では決して出せない精度の材料加工を手仕上げでこなしてしまうのも、このアスペ的才能を使っているからです。
また、国産H−2ロケット打ち上げの際に電気担当のローンチング・ダィレクター(発射管制主管)を努めた方と、僕自身が同じ職場で働かせていただき随分とかわいがっていただいた経験がありますが、その経験上からも数式を理解できる数学力よりもむしろ、数を見ることのできる数学的思考力の方が重要だと思います。
その数学的思考力は、環境や進路によって補われる部分もあると思いますが、本質的にはその人が生来的に備えているセンスが一番大きく影響する能力でしょう。
こういうことは、実際に最先端の現場で働いて実績を残している人の方が良く分っていると思いますよ。もしフリッツさんがそういう現場で働いたことが無いのであれば、「数学力が無ければ理系の世界で通用しない」などという決め付けはしないほうがいいと思います。
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