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▼kokaさん:
>「できない」といってしまえば「できない」のです
>でも方法を考えれば、できるようになることが沢山あります
>どうしても困難であるというべき所は人それぞれですが・・・
>
>診断名を貰うことで諦め、逃げてしまう人も多々いると思います
>それは人としてどんなものなのでしょうか?
>簡単に診断名を貰えることで「私は無理なんだ」といってしまっていいものでしょうか?
>それでは何一つ変わることもできないと思うのです
>障害を理由にして、できませんといってしまえばそれは逃げと捉えられる事もあると思うんです
はじめまして!kokaさんの仰ることには全く同感です。最近、少し分類する癖が出てきてしまっていた自分は、反省させられましたし、すごく考えさせられました。有難うございます!
障碍を理由にして「自分には無理」だと暗示をかけ続ければ、本当に出来ることも出来なくなってしまいますよね。「無理」かどうかはやってみなければ分からない。それが苦手なことだったら、凄くエネルギーのいることだし、やってみた結果、鬱などになってしまうかもしれません。
でも、障碍があろうとなかろうと、『挑戦すること』が大事なんだと思います。出来なかったとしても鬱になっても、『挑戦したこと』自体が評価できることであり、人間としての幅も拡がるんだろうと考えます。
もちろん、個人個人、得手不得手は違いますから、自分の特性を把握することは重要です。
そのために診断を受けることこそが、本当に意義深いものだと思うんです。
>私は発達さん、定型さんとして人間を見ていません
>人間そのものとして見ています
それはとても重要なことだと思います。どうしても発達さん・定型さんとして人間を見ると、対人関係で壁を作ってしまいがちになると思いますので。
>対人関係は今、私は28才ですが、それなりに観察と分析により分かるようになりました
>診断を貰ったのは27才の時でした
>人それぞれ困難の部分も異なるとは思いますが。。なんとかなるものだなーと思っています
深い人間関係を求めないのであれば、それなりに人間観察と分析、パターン化していけば、対人関係を築くことが出来ると、私も思っています。
人によっては話し上手な人も居るでしょうし、聞き上手な人も居る。攻撃的態度の人も居れば、誰に対しても温厚に接する人も居ます。
色々な人の言動や行動をパターン化して覚え、対応し、それによってまた学習していくことが大事なんじゃないかなと思います。
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