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▼kokaさん:
はじめまして。AS+ADHDと診断されている女性です。
>診断名を貰うことで諦め、逃げてしまう人も多々いると思います
>それは人としてどんなものなのでしょうか?
>簡単に診断名を貰えることで「私は無理なんだ」といってしまっていいものでしょうか?
まず、ASという「カテゴライズされたもの」がなければ、私は自分の困り感や、その原因、対策を全く知らずに生きていたと思います。
(これはkokaさんも同じではないですか?違ってたらごめんなさい。)
ちなみに、「障害は個性だ」という言葉には少し抵抗を持ってるほうです。
私は、治療(生きやすくする方法を見つける)の為の
「診断」だと思っています。
診断を受ける前に何ヶ月かかけて自分で色々と調べたり、
地元の心療内科(専門外)に行ってみましたが解決方法を得られず、
県外の専門の医師から診断を受けました。
診断とそれなりの治療を受けても、あまり効果が無くて
諦めてしまう人とかはいるかもしれません。
症状も対処も人によって多様ですし、二次障害があれば
より複雑になるでしょうし、病院を代えようにも成人に
対応してくれる所自体すごく限られています。
診断を貰って、努力せずそれを堂々と免罪符にしている方が
周りにいらっしゃるのですか?
そういう方は、ASでなくともいつも自分の至らなさを何かのせいにして
それを平気で人前での言い訳にして生きてるとか、
「障害があれば他人に優遇してもらうのは当たり前」と
間違った価値観(?)を持った人なのかも。
社会の中ではASに偏見を持つ人、ASの存在すら知らない人が
大半でしょうから免罪符どころではないのですが、
でも、いつも努力していても、家庭の中でや同じ悩みを持った人が
集まる場では多少愚痴が出易くなる時もあります。
それは少し、大目に見て頂けますか(それも甘いですかね?)。
自分はこんな風に努力している、という事をあえて言わない人もいると
思うので「できない=努力していない」とすぐに解釈しないという事も
大事だと思います。
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