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kokaさんこんばんは!
じゅんこといいます。
>私が不思議に思っていることなんですが、どうして、発達障害・・・特にアスペルガーという診断名を貰う必要性があるのでしょうか?
>病院という場所は困った人が行くべきところであり、普段の生活に困っていなければその診断名は必要としないのではないでしょうか?
本人の生活に困り感がなければ、診断を受けたいとか、病院にいく必要性を感じないと思います。
>勿論、診断名も貰うことで安心する人もいらっしゃるでしょうし、抱えていた困難を解決できる手口の一つではあります
ただ、周りの人たちが、自分と自分以外の人との微妙な感じ方の違いを察することが苦手だということを、わがままで自分勝手な自己中人間としてとらえ批判の対象にしてしまうという状況があることも事実です。こうした周囲の方々の批判の目にさらされて、すっかり自分に自信を持てなくなってしまった方たちにはこの診断名が、自分の居場所だとほっと落ち着くことができるということなのでしょう。そういう意味での医学的な根拠にもとづいた診断を得るということは大切なことなんじゃないかな?と感じました。やはりそこからスタートですよね。
>でも、診断名を貰うことで安心していませんか?
>「できない」といってしまえば「できない」のです
>でも方法を考えれば、できるようになることが沢山あります
>どうしても困難であるというべき所は人それぞれですが・・・ >
>診断名を貰うことで諦め、逃げてしまう人も多々いると思います
>それは人としてどんなものなのでしょうか?
>簡単に診断名を貰えることで「私は無理なんだ」といってしまっていいものでしょうか?
>それでは何一つ変わることもできないと思うのです
>障害を理由にして、できませんといってしまえばそれは逃げと捉えられる事もあると思うんです
>障害があっても私の場合、過敏な部分はどうしても避けることができません
>でも、対人関係は今までの経験と体験で上手く行っています
>人から嫌われるというより、むしろ「面白い人」と捕らえられています
>定型発達の人でも対人関係に困っている人は沢山います
>発達障害者だけではないと思うのです
>得意な部分と不得意な部分
>それぞれ、お互い異なるだけでしないのでしょうか?
>定型の人でも不得意な部分はあります
>それは定型さん、発達さん関係ないのではないのでしょうか?
大賛成です。私もいつも同じことを感じています。
お互いに自分と違うことをその違いのままに受け止めていこうとする関係が、大事だなと思います。学校という場所、職場、夫婦間、親と子。
>私は発達さん、定型さんとして人間を見ていません
>人間そのものとして見ています
>勿論、発達さんの困難な部分・・・特に感覚過敏・鈍感であることの方が問題だと思っています
>対人関係は今、私は28才ですが、それなりに観察と分析により分かるようになりました
>診断を貰ったのは27才の時でした
>人それぞれ困難の部分も異なるとは思いますが。。なんとかなるものだなーと思っています
>
>これらは端折ってblogで書いていることです
>障害だからということを理由にし甘えたくはないのです
>やり方はみんなそれぞれだと思っています
>そのやり方を見つければ世の中では上手くやって行けるようになると思うんです
Kokaさんのおっしゃりたいことは、自分の特性をよく理解したうえで、自分の苦手なことをどう工夫すれば周囲の人たちと折り合いをつけ、つながりあって生きていくことができるか?を探し、努力していこうとする姿勢が大事だっていうことだと理解しましたが、いいでしょうか?
>ここで書いていることは反感を買うことかもしれないけど会えて言わせて貰いたいのです
>勿論、人それぞれ事情もあると思いますが。。
>皆さんの意見を訊いて見たかったのです
>
>レスはできる時とできない時があると思いますがお許しください
Kokaさんが肩の力を抜いて、ご自分と向かい合いながら生きていこうとされている姿が、とてもすがすがしいです。
定型か発達障碍かがそんなに大きなへだたりではない社会にしていきたいものです。
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