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こちらこそはじめまして。こうして言葉をやり取りできる事、出会えた事をうれしく思います。
私も長い間孤立感に苦しんでまいりました。その感覚は誰とも同調する事も無く、結局その苦痛は誰も理解してくれませんでした。時代や土地柄もあったのでしょう。「努力」や「我慢」の声にかき消されて、結果としてねじれにねじれて睡眠障害などとして発症した今日(こんにち)にいたります。
だからこそメリッサさんにお伝えするのですが、「我慢」が一番良くありません。だって、「痛いモノは痛い」んです。寧ろ、発達の中途で発見できた事は良い事と考えるべきなんです。改善の方法が沢山有るんですから。
私は我慢して学校は卒業しましたが、結局のところそれがいけなかった。社会生活に影響を来すまでに悪化したからです。
放っておいたままでは、「馴染めない」だけではなく「普通の生活を送りたくとも送れない」障害に発展する事だってありえます(もちろんASの人にはASに気付かず一生を終える人だって少なくありません。ただ、それは「偶々環境が良かった」と現在の科学では考えざるを得ません)。
学校に行かなかったから…どうなるものでもないですよ。学校を中退して、社会で活躍している人だって少なくはありません。そうした人達は確かに「努力」をしています。けれど、その「努力」は必ずしも苦しいだけのものとも…限りませんよね? ASの人間は、普通の人間に持ち得ない能力にたけた場合があるんですから(場合に因っては「天才」って呼ばれるたぐいの人間です)。
私は確かに、他人に合わせる「技術」は経験によってつちかいました。しかし、けれども「苦痛」が消えた訳ではありませんでした。ASでも、中には努力して「苦痛」を和らげる事に成功した人もいるでしょう。かれらが「努力」を怠らなかったのであれば、ならば私の「努力」が足りなかったのでしょうか…、答えは「ノー(No)」であると思います。この世の中、一人として同じ人間なんて居ないんですから。努力するのは大切ですが、それは他人に言われてする事ではない。他人が出来たからといって、自分も出来るのが当然な事ばかりではありませんよ。「自分がしたいと思った努力」、それをするのが先ず大事なんじゃないですか。
それには、「他人に言われた我慢」をするのが一番良くありませんよ。
メリッサさんの周囲の方々、特に、家族の方には様々な迷惑を及ぼすとメリッサさんご自身もお考えと思います。ならば、そこは寧ろご安心下さい。ASで有る無しにかかわらず、貴方はまっとうな人間です。思いやりを無くした時、人間は人間である資格を失うのです。今はあなたも、あなたのご家族もその目には見えない「何か」を理解する事が大事なのです。
今後は少しづつ、お医者様の診断を重ねながらご自分の置かれた状況を見つめてください。
未来を思い悩むこと自体は、健常者だって同じ事なのです。ASの場合、そこにほんの少し「条件」が加わったに過ぎません。ならば、“その条件とは何か”、それを良く知る事なんです。あなた自身も、あなたを支えてくださるご家族の方々も。
同時に、あなたが抱く「興味」を追求しましょう。学校に行かない時間を、別の事に費やすのは決して無駄にはなりませんよ。そうやって、「未来の選択肢」を増やすのが大切だと、思いますよ。…私一個人の勝手な考えですが。
今後、経済的なものや就職に関する点は、この掲示板を始めとするこのインターネット上にたくさんの情報が存在します。あなたの不安を和らげる手段となるなら、是非それらを利用すべきでしょう。
ところで、『メリッサ』ってあの曲かな? もしそうなら、良い友達になれそうだ(^^;)
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