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>やこさん
組織の中で仕事をするのって大変ですよね。
私が考える組織の利益と、上司の言う利益が異なる時は悩みます。
まして、上司の主張に私見が強い時には。
今回は、私見どころか、上司の利益や立場絡みのようですから、憤懣をお察しします。
こういう場合、私自身は憤懣に耐えるばかりで、まるで無力です。
気持ちが見えない人間に、調整や交渉はキツイです。
ところで、「裏切り」という言葉ですが。
私自身は、そういう言葉で非難されたことは無いのですが、これまで「裏切り」という言葉を聞く時、
なにか違和感のようなものを感じてきました。
何に抵抗を感じているのか考えてみたら、ここにも共感性の問題が関わっているように思いました。
今回の場合とは違う話になってしまいますが。
裏切りと言うとき、敵見方ということが前提ですよね。
あなたは私の味方なのか。
味方でなければ敵。
味方なら、敵を批判・攻撃してくれるはず。
なんで敵の肩を持つのか。
そういう雰囲気を「裏切り」という言葉の周囲に、私は感じているように思います。
念を押しますが、これは今回の場合ではなくて、「裏切り」という言葉についてです。
話し手の想いよりも語られた言葉自体に、書いた動機よりも言説自体に注視してしまう私は、共感が先に有るという立場が苦手なのかもしれません。
夫婦であっても、自動的に同じ立場になるのではなくて、
すり合わせの討議ができる方が理想です。
ところが、反面、そんなふうにしか考えられない自分に、後ろめたさも有るのかもしれません。
「何があっても私はあなたの味方だから」という在り方に、反発と同時に憧れも有るのかもしれません。
味方するという立場に応じて、価値観の方を変えてしまうような在り方。
共感性が非常に強ければ、是非善悪以前に立場が決まるのかもしれない。
判断基準の変転を許せないのは、規範に依存しているだけであって、情感には依拠できないことの裏返しなだけなのではないか。
「裏切り」という言葉に過剰に反応してしまうのは、私の場合、そんなモヤモヤした気持ちが背景かもしれません。
それに加えて、私も人の批判を避けたいという事も背景にありそうです。
私の場合、言葉に支配されてしまうのは、自分の言葉でも同様です。
誰かを批判すると、その言葉によって態度が決定的になってしまいます。
あの時はああ言ったけれど、そうでもなかったとか、
あすこは悪いけれど、ここは良いとか、
柔軟に対応できにくいです。
陰で悪口を言いながら実は仲が良いというような関係は無理です。
「裏切り」というような、敵・味方関係が峻別される場面で、
何故、あなたは一緒に非難しないのだと言われる雰囲気は苦手です。
やこさんが、せっかく詳しい経緯を書いてくれたのに、ピント外れの話で済みません。
今回は、なぜ教えてくれなかったのかがポイントですよね。
ただ、「裏切られた」と言われたら、私も激しく動揺するだろうと思い、自分の場合を書かせてもらいました。
自分語りの長文ですみません。
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