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ネフェルさん、返信ありがとうございます。
先ほど自分の文章を見直すと誤字脱字が多いのに気付き、恥ずかしい限りです。
それでもなお読んでくださり、なおかつレスまでつけてくださってありがとうございます。
ASの方には心霊的ともとれる体験をされている人が多いと何処かのサイトで拝見しました。私も幼児の頃に部屋が波に揺られるような感覚や木目が動いて見える感覚、中学生の頃はしばしば所謂「金縛り」というものにかかり、他人に触られている感覚や声を聴いたような体験(といえるのか?)しました。
しかし、私の場合は心霊的な事象ではなくて、なにかしらの心的な要因があっての事象であったのではないかと今は思っています。
私もそういう体験も含め「変わった子供」でした。
そういう子供でしたので自我の芽生える頃にはいじめの対象となっていました。最終的に私が「キレて」主謀格の子を殴って泣かせたことで直接的ないじめは二年ほどで無くなりましたが、やはり気持ち悪がられたり、距離を置かれたりしました。
この経験は私の人格に影も落としましたが、一方で良くも作用したように思います。それは自分が人と違うことに気付かせてくれたことです。それから私は、身なりや歩き方、立ち振る舞いや会話、いわゆる「普通」というものを学習し身につけていく事ができたからです。
そうやって「『変わった』子供」から「『ちょっと変わった』青年」になり、社会生活に溶け込んでいたつもりだったのですが・・・。何かがおかしいのです。自分の中の何かが、邪魔するのです。もっとうまくやれるはずなのに・・・。
私の中の何かがASなのか、違う症例なのか、はたまた単なる甘えなのかはわかりませんが。
ここ数年のうちに私にとって重大な出来事が続きました。
その結果、私の中の価値観や道徳心や自尊心や希望、そういったものが「壊れてしまった」感じがします。心に形質はないんでしょうけど、本当に「壊れた」という表現そのままの感情です。
虚無感から死にたいとか発作的に感じることはありますが、本心からではなくやはり生きるべきだ、生きたい、と感じていると思います。
そして今、これまでの出来事を一度清算しなければならない気がしています。
そうでないと、これから先も同じ経緯をたどって間違いを犯してしまいそうで。
その要因の1つが「AS」にあるのかもしれないと思ったのです。
私は、自分の失敗を何かになすりつけたいだけかもしれません。
ただの自己擁護からくる誇大妄想かもしれません。
自分を卑下することで救いを求めるルサンチマンで、まがい者の下郎でしかないのかもしれません。
話がそれてしまいました。
一方的な独白になってしまい申し訳ありません。
不愉快に思う方がいたら言ってください。
すぐに消します。
その前に自分で消すかもしれませんが。
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