|
▼kazeさん、こんにちは。
>▼明子さんへ
> はじめまして。
ごめんなさい。はじめまして、ではないんです。
ハンドル変えました。(元「りり」です)
実は、先日私も知人から差別的な発言を受けました。
家に帰って泣きました。
夫が帰ってからも、夫の前で泣いてしまいました。
ただ、私の場合、怒りというのとはちょっと異質なんです。
「心が傷ついた」という表現のほうが合っています。
「目を離した隙に子どもに怪我をさせてしまった、どうしてあのとき目を離してしまったのか?」というときと、似たような感情です。
上手い表現が見つからずすみません。
要するに、どちらも「不慮の事故」みたいなもの、と捉えています。
そういう相手と付き合わなければならないこと、そういうことを言われてしまうことは、「運命」みたいなもので、相手に言われてしまうこと自体は不可抗力なのではないか、と思うんです。
そういうふうに言う相手は、自分が間違っている、とは多分思ってないんですよね。
私の場合、やはり秋桜さんと同じような対処のしかたをしています。
私も若かりし頃、認知療法の本を読んだことがあります。
その影響も大きいと思います。
傷ついてしまった心はどうしようもないけれど、自分の感情に振り回されないようにして、頭の中を整理していきます。
・相手の人のやったことそのものはよくないことであっても、その人自身が悪いわけではない(罪を憎んで人を憎まず)
・相手は自分で間違ってると思ってないわけだから、どちらの考えが正しい・間違ってるで判断できるものではないし、判断してもしかたない
・あのような態度を取る相手も自分に対し不快感を感じているのだろう(態度に出すか出さないかの差だけで、お互い様)
こういうときはこうするべきだ、そうできないのは相手が悪いのだ、と考えるから、怒りの感情が起こってくるのではないでしょうか。
「世の中いろんな人がいる、そういう人と出会ったのは、事故みたいなもの」と、私は捉えています。
「あんなふうにしか考えられない人なんだ」「あんなことで自分が振り回されたくない」などと考えることもあります。
精神的に傷ついたり不快になったり、相手の人と気まづくなったりはしますが、それはまた別物、と捉えて対処しています。
そのときの対処法が秋桜さんの書かれていることと、似ていると思います。
ひと言で書けば、「自分の心の中の問題なのね」と思うようにしています。
…うーん、なんだかうまく表現できなくて、ごめんなさい。
少しでもkazeさんの気持ちがラクになれば、と思ったのですが。
私は大抵そのように対処して乗り切ってます。
持続した怒りに囚われて対処に困る、ということはあまりありません。
#私が怒る対象は、基本はあくまでも身内(家族)で、普段はよく怒りを感じています。
後腐れなく修復可能な関係だから、怒れるのかもしれませんし、「こうあってほしい」という期待が大きいからだと思います。
期待しない関係だと、怒りの感情はあまり起きないのです。(傷ついたり不快になったりはしますが)
|
|