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悩める三児の母さん、こんにちは。
こういった掲示板に書き込む機会があまりないので、
ご無礼があったらごめんなさい。
文章を読ませていただいた感じだと、お子さんは、相当フラストレーションが
たまっているのではないかと。
死にたい、というのも、お母さんの注意を惹きたかった可能性もありますが、
個人的な感触としては、相当、『疲れて』いるんじゃないかと思います。
軽いうつ病、のようなものですね。
慢性的に疲れると、人間はそういう精神状態になるのです。
自閉症的な感覚の持ち主は、定型発達の人にはなんてことの無い環境でも、
ものすごい負荷を受けています。元気に走り回っているように見えても、
実は既に普通の「疲れた」の一線を超えていて、ある種のランナーズハイで、
自分の背負ったものの重さに気づかないまま、突っ走り続けて続けている。
周囲の人にこの感覚は理解できませんから、疲れを自覚したときに「休みたい」
と言っても、休ませてもらえない。走り続けざるを得ない。
一見支離滅裂に見えるお子さんの行動ですが、無理やりにでも人と繋がりたい、
でも上手くいかない、そんな葛藤と、周囲があたりまえに学んで適応していく
ことを理解出来ないもどかしさの発露、そんなものを私は感じました。
依存症のひとに近い状態、というのでしょうか。
今はこれをしなくちゃいけない、これをしないと安心できない―――
無理をして走っていると、人間はそういう精神状態になるものです。
落ち着けば、そのうち、そういった行動もなくなります。
自分の判断と、欲求との折り合いを、上手くつけられるようになります。
悩める3児の母さんは、自閉症児がしばしば「取替え子」とよばれるのを
ご存知でしょうか。わたしは、このエントリの最初の言及、
>思ってもいなかった診断で、頭の中は真っ白。うちの子は違うと否定ばかりしていました。
>それからは、むさぼるように情報を集め、ようやく我が子の障害を受け入れられたのは、半年ほどたってからです。
わたしは、これを読んで、胸が締め付けられる思いをしました。
トピ主さんの感想は、自然なものなんだと思います。
でも、違うんです。お子さんを、否定しないであげてください。
私たちに障害がある、どころか、障害は「わたし」の一部です。
それがなければ、それはもう「わたし」ではないんです。
決して望んだつもりはありませんが、そうなのです。
自閉症の子供は、まわりの人があたりまえに学んでいく世界に自分を
適応させることに困難を抱えています。当然、生きていく間、壁に何度も
ぶつかることになります。ぶつかった時、それから逃げずに、
何かを学び取っていけるか否か、それは、その子の体力に掛かっています。
体力がなくて逃げ続けてきた人間は、最初の壁を越えられないまま、
逃げ続ける人生を送ることになります。それは、壁を越えるのよりもっと
苦しいことです。
『体力』をを獲得するために必要なのは、何よりも「自分の存在が認められてい
る」という感覚です。せめて、その子が「戦っていく」エネルギーを上手く
確保できるように、サポートしてあげてください。甘やかす必要はありません。
ただ、そこにいることを否定しないであげてください。
どうしてわかってくれないの、と苛立ってしまうかもしれません。
でも、お子様自身が「判断できる」と言っているのであれば、
その言葉を信じてあげてください。わかっているけどできない、
やりたくない、でもその理由が自分でもわからない――そんな状態なんだと
思います。前の方が書いていらしたように、客観的に分析すれば、
「気を惹きたい」とか、「叱られないと自分がそこにいる『実感』を持てない」
とか、そういう状況なのかもしれません。
個人的な話になりますが、わたしは「寂しい」という言葉の意味するものを
理解するのに、生まれて20年掛かりました。感情が無い、というより、
自分の感情、情動、そういったものを認知するのがとても難しいのです。
お子さんも、小学一年生となれば尚のこと、理性的な判断はできていても、
内面的にはぐちゃぐちゃを抱えたまま、しかもそれが自分でも何なのか
さっぱりわからない状態なのではないでしょうか。
新居昭乃さんの「子猫の心臓」という歌に、こんな一節があります。
「まだ 何も出来ない 誰かに甘えることも 淋しがることさえも」
私は、年齢的にはもう成人した身ですし、猫ではありません。
未だに、甘える方法も、淋しいことを人に伝える方法もわかりません。
小学一年生のお子さんとなると、もっとわかならないことだらけでしょう。
自分の内面を他者に伝えることは、相手がお母さんといえど、難しいはず。
お子さんに今必要なのは、「理解したこと」と「自分の行動」とを一致させるため
の、時間と、そして枯渇してしまいそうなエネルギーを潤沢にする時間です。
そのためにお母さんが要求されているものは、余裕です。
間違いは間違いだと伝えてあげる。その子にわかる瞬間が訪れる
まで、何度でも。自閉性の障害を持った子供は、「どれだけ頑張っても、
ある部分においてだけ、人よりも遅れてしまう」。
その状態で社会に向き合っていくには、ある意味、ふつうの人以上にたくさんの
エネルギーを必要とします。発達障害支援法なんてものができても、
この事実をあらゆる人に理解してもらうのは、非常に難しいこと。
まず、不可能だと思います。
でも、だからこそ、お母さんだけは理解してあげて下さい。
過酷な環境でも、子供のうちは旺盛な生命力で乗り切ることができますが、
無理をしたツケはいつか必ずめぐってきます。
将来的に、二次障害、特に神経症や自律神経系の疾患を抱える羽目になると
(経験上)とても苦労します。お子さんの様子に注意してあげてください。
娘がこの歳になって、ようやく「遅れた子供」への開き直りが出てきた
らしい母、私が失敗をする度にヒステリックになって、とにかくも人から
認められる人間にしようと躍起になっていた母、彼女を見ていると、
自分の一部だった「はずの」他人を育てる、というのはとても難しいこと
なのだと感じます。今の私には、子供の立場から状況を述べることが
出来ないことを大変申し訳なく思いますが、ひとつの参考にしていただ
けたら幸いです。
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