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▼クロムさん:
コメントありがとうございます。(^o^)/
>この文面から伺うに、ご自身の身体障害や発達障害、ファッションなどに強くコンプレックスを抱かれているようですが、
>恋愛するのに、障壁となるのはこれらのことではなくむしろ、これらにとらわれているChiquititaさんの姿勢のような気がします。
>人が興味を持つのは、自分で考えている自分像やアピールポイントからはズレて、
>全く予想外の部分だったりする話も聞きますし、
>あまり外見とか、自己イメージにとらわれないで、それと、恋愛すること自体を目的にせずに下心なく自然に他人とコミュニケーションとっていけば、相手が合えばなりゆきで恋愛に発展することもあると思います。
まさに御指摘のとおりだと思います。
私が小学校〜中学校に通っていたとき、身体障害を攻撃したいじめの加害者がクラスメートだけでなく他校の生徒や幼稚園児、さらには近所の大人まで加勢しました。このことが、自治体の全住民(当時の人口は約16万2千人)にうなされるという悪夢につながりましたし、44歳の現在の姿が当時とまったく同じいじめを受けるという悪夢に今以てさいなまれると言う結果をもたらしています。
親元では今なお私の身体障害が原因でオフクロが町内会で嫌がらせを受けることも珍しくありません。
こういった事実があるため、身体障害に偏見を抱いている人が多数派であるような妄想から抜け出せないのです。
長野(松本)の心療内科でも、
【どんなに身体障害に偏見が強い環境でも、本当に身体障害を攻撃した人はほんの一握りで、ほとんどは身体障害にさほどの偏見は抱いていないものの、無理遣り同調させられたのだろう】
と言われましたが、弟にまで
【兄貴のその歩き方、カッコ悪くて一緒に歩けない。一緒にいて恥ずかしいから何とかしろ】
とまで言われたとあっては、価値観が歪んだものになるのも当然だと感じています。
どんなにいじめがひどい環境でも、家庭はサンクチュアリでなければならないはずなのに、私の場合はサンクチュアリではありませんでした。
一人でいる場所だけがサンクチュアリだったのです。
しかし、障害のない人でも定型発達の人でも、家庭や職場よりも一人でいる場所のほうがサンクチュアリだと感じている人も多いと思います。
そうであるなら、自分なりにサンクチュアリを楽しんだほうがいいのかもしれないでしょう。
44年間の心の傷がいえていないのに恋愛に臨んでも、トラウマのネタが増えるばかりかもしれません。
>少なくとも私は、人の外見がどうかよりも、その人が何かにコンプレックスを抱いているということ自体のほうがマイナスイメージに感じます。人と比べてどうだとか、一般的に見て自分はどうであるとか、皆がそういう見方をするという思い込みの方が自分の限界を作っていると思います。
今回の解雇劇も、やはり職場になじむことができなかったことが理由の一つだと感じていますが、自分自身を歪んだ価値観でがんじがらめにする状態が続けば、これから先、何処に就職しても長続きしないことは目に見えていると感じています。
仕事の出来具合や集中力の問題と同じぐらい重要であることだと思います。
何れにしても、身体障害の日常への影響は
●WCが洋式でないと使えないこと。
●胡坐が掻けないため、宴会などで小上がりの席が非常に苦痛であること。(正座が最も楽な姿勢だが、30分しか続かない)
くらいものです。
「ビリーズ・ブートキャンプ」はドクターストップでできませんが、手順を覚えてプールの中で水中体操として実践することはできます。
>価値観が相容れないことを気にされているようですが、ほんとに、他の人がChiquititaさんのどこに魅力を感じるかなんて、全く予測不能。
>世の中にはいろんな人いるので、Chiquititaさんが否定しても、制限しても、惹かれあうときは、多少のぶつかり合いはあれどそんなことは問題にならない部分で惹かれあうとおもうので、なにも起こらないうちから自分で可能性を狭めるのはもったいないです。自分の考えていることが全ての事実ではないって考えることが大事と思います。わたしも自分の考えにとらわれやすいので、人とコミュニケーションする時は意識してます。
>それに、もし外見がどうだからとか、障害があるからとか、そんな、人間性とは関係ない部分で人を判断する相手はこっちから願い下げでOKと思います。
価値観の違いを受け入れられないことは、健常者同士の場合や定型発達同士の場合でも十分起こりうることでしょう。
もちろん、発達障害があると他人の価値観を受け入れる能力が劣ることは否定できませんが、努力は可能だと信じています。
やはり、「多数派の価値観に同調できない理由が身体障害や発達障害だ」という考えから脱却することを真っ先に考えたほうがベターなのでしょう。
今までどうしても身内の者とWebでしか存在を認められたことがほとんどなく、しかも身内の者でも存在を認めてくれた人が全員ではなかったので、愛情が「オフクロの過保護」という歪んだものしか感じられませんでしたが、[#20626]や[#20628]でコメントされたように、ChiquititaがChiquititaの存在を否定してはいけないので、自信を取り戻すために何が必要かを引き続き模索していきます。
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