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▼クロムさん:
>家族が悲しむのはなぜ非道か、
>聞かせていただけませんか?
何故という理由としては甘いかもしれませんが、親には育ててもらった義理があり、兄弟には、仲良くしてもらい、支えてもらった恩があるとわたしが感じるからです。
両親が、わたしを育てるにあたり、やはり自分の子であるので、何らかの期待をして育てたと思います。
ですから、その期待に報いることができなくてどうするのだろう、と思います。
たとえ期待に完全に応えられなくても、世話になった(そして、これからもなっていくことだろうと思う)両親を敢えて悲しませるようなことはしたくありません。
>自分にとってはそれが現実で、
>家族が悲しんでも、家族が心から悲しんでいるかは本当は分からないし、もし本当に悲しんでいても、たとえば「私の家族が悲しんでいる」という状態が永遠に形として残ったり、生命の全体や時間の流れに影響を及ぼすこともないと思うと、どうしても「それだけのことだった」「そういうこともある、でも意味はない」、という感覚になります。宇宙を傍観みたいな感覚です。
外形からは感情や意思を読み取ることができないということは正論でしょう。
ただ、仮に何も期待や愛情が親に無かったならば、わたしなどの為に金を使い、わざわざ話を聞いたり願いを叶えたりして丹念に扶養することはしないと思います。
そういう愛情や期待、あるいはただ単にお世話になった人を裏切りたくはありません。
だから、わたしは故意でもそうでなくても、親を悲しませたくありません。
永遠には残らないかもしれませんが、両親が死に、わたしが死ぬまでは悲しいという感情も両親とわたしの頭に記憶として残ると思います。
大宇宙にとっては些細なことなどという考えはわたしにとっては腹の立つものでしかありません。
人は誰一人そんな高みには立っていないのだと思います。
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